ピロス(英語表記)Pílos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピロス」の意味・わかりやすい解説

ピロス
Pílos

古代ギリシア語読みではピュロス Pylos。ギリシア,ペロポニソス半島南西部の都市。細長いスファクティリア島によってほぼ遮蔽されたナバリノ湾の南岸に位置する。ホメロス叙事詩に登場するピュロス王ネストルの王都の位置については,古くから論争が続いているが,1939年市の北数 km,ナバリノ湾北岸で前 1700~1200年頃のミケーネ式宮殿が発掘され,ネストルの居城として有力視されている。またこの遺跡からはクノッソスやミケーネで発見された線状B文字にきわめてよく似た文字を刻んだ粘土板も出土,考古学上の貴重な資料となっている。古代ギリシアの歴史家ツキジデスによれば,前 425年アテネがこの地でスパルタを破ったときには,市はすでに荒廃していたという。中世には同湾南岸に町が形成され,ナバリノ Navarinoと呼ばれた。 15世紀以降オスマン帝国の支配下におかれたが,ギリシア独立戦争 (1821~29) 中,1827年同湾内でオスマン帝国が敗退 (→ナバリノの戦い ) ,ギリシアの独立が決定的となった。現在の市は 29年にフランス人により建設された。主産業は漁業牧畜など。人口 2594 (1981) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピロス」の意味・わかりやすい解説

ピロス(ギリシア)
ぴろす
Pýlos

ギリシアのペロポネソス半島南西部、メッシニア県(古代のメッセニア)の町。外国人にはむしろナバリノNavarinoの名で知られる。現代ギリシア語ではPílosと発音する。人口約2500。1827年のナバリノの海戦の舞台となったナバリノ湾の南東岸に位置する。16世紀にオスマン・トルコによって城塞(じょうさい)が築かれたが、市街地の建設は1829年に始まった。古代には、ナバリノ湾の北端コリファシオン岬の南端部がピロスとよばれた。ペロポネソス戦争中の紀元前425年にアテネが占領し、対岸のスファクテリアSphakteria島を攻略して、スパルタ人292人を捕虜にしたことで知られる。ミケーネ時代のピロスの港もおそらくこの岬にあった。また、ここから北東へ約10キロメートルのエパノ・エングリアノスの丘で1939年に発掘が始められた前1300~前1200年の遺跡は、ミケーネ時代のピロスの王宮(ホメロスではネストル王の居城)跡と考えられている。

[清永昭次]


ピロス(古代ギリシアのエペイロスの王)
ぴろす
Pyrrhos
(前319―前272)

古代ギリシアのエペイロスEpeirosの王(在位前307~前303、前297~前272)。王国のヘレニズム化に尽くした。幼少で即位したが、一時王位を追われ、紀元前297年の復位後、マケドニア戦い、マケドニアのなかばおよびテッサリアを得る。アイトリア、アテネと同盟したが、前283年、リシマコスに撃退された。その後、タレントゥム救援のためイタリアへ渡り、ヘラクレア(前280)、アスクルム(前279)でローマ軍を撃破、さらにシチリアへ転戦しカルタゴ軍と戦ったのち、イタリアへ戻る。前275年のベネベントゥムの戦いは決着のつかないままにエペイロスへ帰還。前273年、ペロポネソスに遠征し、スパルタ攻略失敗後、アルゴスで戦死した。

[中村 純]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ピロス」の解説

ピロス
Pyrrhos

前319〜前272
古代ギリシアのエピルス王
アレクサンドロス大王の後継者を志し,一時マケドニアの大半を支配した。前280年にイタリアに渡り,2度の合戦でローマ軍を破った。ついでシチリア島でカルタゴ人を討ったが,前275年ローマに敗れ,エピルスに帰国した。マケドニアと交戦中,アルゴスの戦いで戦死。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピロス」の解説

ピロス

ピュロス〔人名〕

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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