ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピロス」の意味・わかりやすい解説
ピロス
Pílos
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ギリシアのペロポネソス半島南西部、メッシニア県(古代のメッセニア)の町。外国人にはむしろナバリノNavarinoの名で知られる。現代ギリシア語ではPílosと発音する。人口約2500。1827年のナバリノの海戦の舞台となったナバリノ湾の南東岸に位置する。16世紀にオスマン・トルコによって城塞(じょうさい)が築かれたが、市街地の建設は1829年に始まった。古代には、ナバリノ湾の北端コリファシオン岬の南端部がピロスとよばれた。ペロポネソス戦争中の紀元前425年にアテネが占領し、対岸のスファクテリアSphakteria島を攻略して、スパルタ人292人を捕虜にしたことで知られる。ミケーネ時代のピロスの港もおそらくこの岬にあった。また、ここから北東へ約10キロメートルのエパノ・エングリアノスの丘で1939年に発掘が始められた前1300~前1200年の遺跡は、ミケーネ時代のピロスの王宮(ホメロスではネストル王の居城)跡と考えられている。
[清永昭次]
古代ギリシアのエペイロスEpeirosの王(在位前307~前303、前297~前272)。王国のヘレニズム化に尽くした。幼少で即位したが、一時王位を追われ、紀元前297年の復位後、マケドニアと戦い、マケドニアのなかばおよびテッサリアを得る。アイトリア、アテネと同盟したが、前283年、リシマコスに撃退された。その後、タレントゥム救援のためイタリアへ渡り、ヘラクレア(前280)、アスクルム(前279)でローマ軍を撃破、さらにシチリアへ転戦しカルタゴ軍と戦ったのち、イタリアへ戻る。前275年のベネベントゥムの戦いは決着のつかないままにエペイロスへ帰還。前273年、ペロポネソスに遠征し、スパルタ攻略失敗後、アルゴスで戦死した。
[中村 純]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新