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フォンダ Fonda, Jane

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フォンダ
Fonda, Jane

[生]1937.12.21. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の女優。本名 Jane Seymour Fonda。父は俳優ヘンリー・フォンダ。名門女子大学のバッサー・カレッジを 2年で中退,1958年にニューヨークの俳優養成機関アクターズ・スタジオでリー・ストラスバーグに演技を学び,モデルとしても働いた。1960年に戯曲 "There Was a Little Girl"でブロードウェーに進出し,『のっぽ物語』Tall Storyで映画デビューを果たした。1960年代には『キャット・バルー』Cat Ballou(1965),『裸足で散歩』Barefoot in the Park(1967)など数多くの映画でコミカルな役を演じた。その後,『ひとりぼっちの青春』They Shoot Horses, Don't They?(1969),『コールガール』Klute(1971),『帰郷』Coming Home(1978),『チャイナ・シンドローム』The China Syndrome(1979)など社会派の作品に出演した。『コールガール』と『帰郷』でアカデミー賞主演女優賞を受賞。1981年には『黄昏』On Golden Pondで父親と共演。一時映画界を離れていたが,2005年に『モンスター・イン・ロー』Monster-in-Lawで復帰した。政治活動家としても有名で,1970~80年代には反体制の活動家として活躍。ベトナム反戦運動に携わり,1972年にベトナム民主共和国(北ベトナム)のハノイを訪れてアメリカ軍の北ベトナム爆撃(北爆)を批判した(→ベトナム戦争)。私生活では,フランスの映画監督ロジェ・バディム,アメリカの政治家トム・ヘイデン,アメリカのテレビ局 CNNの創業者テッド・ターナーとの 3度の結婚・離婚を経験した。

フォンダ
Fonda, Henry

[生]1905.5.16. ネブラスカ,グランドアイランド
[没]1982.8.12. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の舞台・映画俳優。フルネーム Henry Jaynes Fonda。ネブラスカ州オマハに育ち,マーロン・ブランドの母ドロシーに誘われアマチュア劇団オマハ・コミュニティー・プレイハウスの公演に出演するようになった。ミネソタ大学で一時ジャーナリズムを学んだのち,1928年東海岸に移住。マサチューセッツ州ファルマスで学生演劇集団「ユニバーシティ・プレーヤーズ」に参加し,のちに最初の妻(生涯で 5回結婚)となるマーガレット・サラバンらと出会う。1934年ブロードウェーの舞台『運河のそよ風』The Farmer Takes a Wifeで初めて主役を務め,翌 1935年には映画化作品の同じ役で映画デビューを果たした。第2次世界大戦中は海軍に入隊。戦前戦後を通じ,ジョン・フォード監督作品に数多く出演しており,代表作は『怒りの葡萄』The Grapes of Wrath(1940),『荒野の決闘』My Darling Clementine(1946)など。1948年ブロードウェーに凱旋し,『ミスタア・ロバーツ』Mister Robertsでトニー賞を受賞した。晩年も映画出演を続け,生涯最後の出演作となった『黄昏』On Golden Pond(1981)でアカデミー賞主演男優賞を獲得。その前年にはアカデミー賞名誉賞を受賞している。

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百科事典マイペディアの解説

フォンダ

米国の俳優。ミネソタ大を中退して舞台俳優となり,1935年映画デビュー。J.フォード監督《怒りの葡萄》(1940年),同《荒野の決闘》(1946年),ブロードウェーの舞台を映画化した《ミスタア・ロバーツ》(1955年),S.ルメット監督《十二人の怒れる男》(1957年)などでアメリカの良心を体現した。
→関連項目ヘプバーン

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世界大百科事典 第2版の解説

フォンダ【Henry Fonda】

1905‐82
アメリカの映画俳優。舞台でも活躍した。〈まじめで無器用な青年〉から〈怒りを抑えた静かな知性と深い思慮ある大人〉に成熟したアメリカ人,あるいは〈普通の人々〉の怒りと悲しみをもったアメリカン・ヒーロー,というのがスクリーンにおけるフォンダのイメージであった。ネブラスカ州生れ。新聞記者を志してミネソタ大学でジャーナリズムを専攻するが,家庭の事情で中途退学。アマチュア劇団をへて,演劇集団〈ユニバーシティ・プレーヤーズ〉に加わり,のちにブロードウェーの演出家になるジョシュア・ローガン,ブロードウェーからハリウッドのスターになるジェームズ・スチュアートたちと活動をつづける。

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世界大百科事典内のフォンダの言及

【怒りの葡萄】より

…1940年製作。《若き日のリンカーン》《モホークの太鼓》(ともに1939)に次いでヘンリー・フォンダが主演,この3連作でスターとなり,アメリカ民主主義の理想を体現した〈オール・アメリカン・ヒーロー〉としてのイメージを築いた。J.フォードの最も脂がのり切った時期の作品の1本で(1938年10月から39年11月までに,《駅馬車》とH.フォンダ主演のこの3連作を製作),初のアカデミー監督賞を受賞し,彼はこれで第一級の監督にのし上がった。…

【荒野の決闘】より

…ジョセフ・マクドナルドの撮影によるモノクロ画面の,広々とした空間の表現,雲の美しさなども特筆されるべきもので,〈もっとも撮影のみごとな西部劇の1本〉に数えられる。主人公ワイアット・アープには,フォードの《若き日のリンカーン》(1939),《怒りの葡萄》でアメリカの民主主義を体現する理想的ヒーローを演じたヘンリー・フォンダが扮(ふん)し,西部男の好もしい素朴さを表現。原題は美しい娘のことをうたった民謡からとられたもので,そこでうたわれている〈愛しのクレメンタイン〉が,そのまま,アープが淡い恋情をよせるヒロインの名まえに使われた。…

【十二人の怒れる男】より

…先鋭的な舞台の演出家,そしてとくにテレビの生放送ドラマのディレクターとして知られていたシドニー・ルメットの初の映画演出作品で,レジナルド・ローズの脚本をルメット自身が演出したテレビドラマの映画化。主役のヘンリー・フォンダが,ローズとともに製作を担当。父親を刺殺した容疑で起訴された少年にたいする評決をめぐって,ニューヨーク市民の中から任意に選ばれた12人の陪審員が論議をかさね,予備投票による1対11の有罪から12対0の無罪へと評決が逆転する過程を克明に描く。…

※「フォンダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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