翻訳|fusion
融合の意。1970年代初期に出現した、ジャズ・プレイヤーがロックのサウンドや奏法を取り入れ融合させた音楽ジャンル。日本ではクロスオーバーとほぼ同義だが、英米では後者は「あるジャンルの音楽(とくに黒人音楽、カントリー、ジャズなどの相対的にマイナーなジャンル)が他ジャンル(とくにロック、ポップスなどの主流ジャンル)のヒットチャートに進出すること」をも意味し、必ずしもジャズとロック間でのジャンル越境だけに限定されない。
フュージョンの歴史的起源は1960年代後半のモダン・ジャズ、とりわけトランペット奏者のマイルス・デービスの活動に見いだされる。デービスは60年代のロックの流行に刺激され、電気楽器を用いたジャズを演奏し始める。ウェイン・ショーター(サックス)、ハービー・ハンコック(キーボード)、ジョー・ザビヌル(キーボード)、チック・コリア(キーボード)らを起用した『ビッチェズ・ブリュー』(1970)はジャズに電気楽器を大幅に導入して成功した最初の例となり、このレコードに参加したミュージシャンたちは伝統的なジャズの様式を離れ、よりロックやファンク、ソウルなどを取り入れた音楽を演奏するようになる。ショーターとザビヌルは70年にウェザー・リポートを結成し、ロックやラテンのリズムのうえでジャズの即興演奏を行った(『ヘビー・ウェザー』(1976)など)。ハンコックやコリアもロックを取り入れたジャズを演奏するようになり、それらの新しいジャズは評論家によってジャズ・ロック・フュージョン、後にフュージョンという新しい名前でよばれるようになる。
フュージョンはしだいにロック出身のプレイヤーが参入するようになり、ジャズの伝統を革新し、発展させるモダニズム運動のための実験という初期の理念もしだいに薄れ、ジャズのハーモニーによって心地よくアレンジされた楽曲を、ロックの楽器編成によって演奏する様式として定着した。そのためしばしばジャズ評論家からは商業主義として排斥され、ロック批評家からはテクニック至上主義として軽んじられるが、1980年代以降の主流のロックやポップスで行われる演奏技法を高度に洗練し、スタジオ・ミュージシャンの技術的な基盤を養成するうえでフュージョンが果たしてきた役割は大きい。
[増田 聡]
『中山康樹・ピーター・バラカン・市川正二著『ジャズ・ロックのおかげです』(1994・径書房)』
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[ジャズのゆくえ]
1969年マイルス・デービスは《ビッチェズ・ブリューBitches Brew》(CBS)というレコードを発表した。13人のメンバー中,11人までがリズム・セクションという楽器編成から流れ出すこみいった複合リズム,さらにロックなどジャズから派生して発展したポップスからの再影響に加え,電気楽器を駆使したサウンドは,70年代の新しい動き――クロスオーバーcrossoverないしフュージョンfusionの先駆的作品と評価されている。70年代のフュージョン界の主要なリーダーは,そのほとんどがマイルス・バンドの出身者であったことは,マイルスの存在と影響力がなお衰えていないことを示すものであった。…
…この傾向は今後も続くものと思われ,インドネシアなどアジアからも新しいポピュラー音楽が起こりつつある。他方,アメリカ国内の黒人音楽は,1960年代のソウル・ミュージック,70年代のフュージョン(商業化したジャズ)とディスコ・ミュージック(商業化したロックとソウル),80年代のマイケル・ジャクソンなど黒人による新種の商業主義音楽など,高度音楽産業による大量消費商品と化してしまった。 このようにポピュラー音楽は,基本的に資本主義経済のもとでの商品としての側面と,下層大衆の意識の表現様式としての側面との二重の性格を有し,資本主義の矛盾の増大とともにこの二つの面の間の矛盾も大きくなり,今後の動きは予測できないほど混沌としているのが現状だといえる。…
※「フュージョン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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