翻訳|Brexit
イギリスのヨーロッパ連合(EU)からの離脱を意味する造語。英語でイギリスを意味するBritainと、離脱を意味するexitを組み合わせたもの。2016年6月にEU残留の是非をめぐってイギリスで行われた国民投票の結果、離脱支持が51.9%を占め、それを受けて同国のテレーザ・メイ政権は2017年3月、EUに対して正式に離脱意思を通告した。EUとの離脱交渉を経て、2020年1月にイギリスはEUから離脱し、同年末で移行期間も終了した。
[池本大輔 2022年3月23日]
イギリスは当初からヨーロッパ統合には消極的であった。1952年に設立されたヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、1958年に設立されたヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM(ユーラトム))への参加を見送り、ようやく1973年になってヨーロッパ共同体(EC。上記三つの共同体の総称)に加盟した。イギリスは加盟後も「扱いにくいパートナー」であり続け、ヒト・モノ・サービス・マネーが国境を越えて自由に移動できる単一市場の実現には熱心であったが、単一通貨のユーロや域内国境管理を廃止したシェンゲン協定には不参加の姿勢を貫いてきた。
このような消極的姿勢の背景にはいくつかの要因がある。歴史的には、旧大英帝国の諸国やアメリカとの「特別な関係」のほうが、大陸ヨーロッパ諸国との関係より重視されてきた。ヨーロッパ統合は、二度の世界大戦の経験を踏まえ、民主的で平和なヨーロッパを築くために国家主権を共有するプロジェクトである。しかし、民主的な政治体制が崩壊したことも、ドイツに占領された経験もないイギリスでは、このような統合の理念に対する支持は希薄であった。1973年にECに加盟したのは、それが国際的な影響力を向上させ、経済的な実利をもたらすと期待したためである。
イギリスが当初ヨーロッパ統合への参加を見送ったため、EUの制度や政策はイギリスの利害を考慮することなく形成され、その政治的伝統とも乖離(かいり)していた。EC当時、イギリスが過大な財政貢献の是正を求めた予算分担金問題は1984年に解決された。しかし、サッチャー政権のもとで1980年代以降、イギリスが市場志向の強い経済政策を採用し、サービス業・金融業を中心とする経済構造になったことで、大陸諸国との間に新たな溝ができた。ヨーロッパ統合に関する対立軸は、二大政党の保守党・労働党を横断する形で存在する。しかし、与野党間の対立を特徴とするイギリスの政治システムのもとでは、左右の二大政党内部の親欧州派勢力が党派を超えて協力することがむずかしく、イギリスがヨーロッパ統合に建設的に関与することを困難にした。
このような事情が、大陸諸国とイギリスとの間の統合に対する温度差の原因となってきた。とはいえ、加盟直後の1975年にイギリス史上初めて行われた国民投票で投票者の67%が残留を支持したように、EU(当時EC)からの離脱を訴える声はイギリス国内でも少数に過ぎなかった。
[池本大輔 2022年3月23日]
発端は、2013年1月に首相デビッド・キャメロン(保守党)が、次回の総選挙で保守党が勝利した場合にEU残留の是非をめぐる国民投票を行うと公約したことにある。その背景には、2000年代からEUに対するイギリス世論が徐々に硬化したことと、保守党内部の路線対立とがあった。
まず2004年と2007年の二度にわたってEUの東方拡大が行われ、東欧諸国が新たに加盟した。当時のブレア政権(労働党)は、フランスやドイツと異なり人の自由移動に関し移行期間を設けなかったため、経済水準の低い新加盟国からの移民が急増した。その後、グローバル金融危機がおきると、多くの移民が流入した地域では、職を奪われるとの懸念が広まって、医療や教育などの社会インフラにも負担がかかった。EUに対する信頼感は低下し、EUからの離脱を唱えるイギリス独立党(United Kingdom Independence Party:UKIP(ユーキップ))への支持が拡大した。
加えて、もともとはEU(当時EC)にイギリスを加盟させた保守党のなかでは、サッチャー政権期の1980年代末以降、経済通貨同盟の進展に対する反発などから懐疑派の勢力が強まり、1997年に政権から下野したあと、対EU政策をめぐる党内対立が激化した。2009年にギリシアでの財政スキャンダル発覚をきっかけにおきたユーロ危機に対処するなかで、EUがマクロ経済運営や金融規制での協調を深めると、保守党内ではEUの方向性やイギリスの影響力低下を懸念する声が強まった。こうしたなか、首相キャメロンが国民投票を公約したのは、これ以上イギリス独立党に支持が流れるのを防ぎ、保守党の党内対立を収拾するためであった。
同時に、イギリス議会制民主主義の機能不全の影響も見逃すべきではない。1960年代までのイギリスでは、保守・労働両党が選挙であわせて90%前後の票を得てきた。そのため、総選挙で勝利した政党の立場が国民により支持されたとみなすことが可能であった。しかし2010年代に入ると、二大政党の得票率の合計が60%台まで低下する一方、両党首脳部が似た立場をとる問題も多かった(EU加盟の是非はその一例)。そのため、総選挙による決着はむずかしくなり、国の基本的なあり方をめぐる問題で、国民投票や住民投票が行われることが増えている。2016年の国民投票は、1975年(EC残留)、2011年(選挙制度改革)に続いて3回目であり、2014年にはスコットランド独立をめぐる住民投票も行われた。
[池本大輔 2022年3月23日]
離脱派は、EUへの加盟によって失われた国家主権を取り戻すこと、EUに対する財政貢献のかわりに国民医療サービスの予算を増加すること、離脱によってヨーロッパ外の諸国と自由に経済的な関係を築くことなどを訴え、支持を集めた。しかし、離脱派は大きく分けて二つのグループの寄せ集めの集団であった。一方は移民への反対を前面に押し出すイギリス独立党系のグループ(反グローバル化派)、もう一方はEUの規制に批判的な保守党系のグループ(ウルトラグローバル化派)であり、両者が協力することはむずかしいと思われていた。これに対して、残留派はEU加盟がもたらす経済的なメリットと国際的な影響力とを強調した。
実際にキャンペーンが本格化すると、離脱派は移民問題に焦点を絞ることでうまく協力した。移民が引き起こすとされた問題(医療サービスの長い待ち時間や学校などのインフラ不足)は、グローバル経済危機後の緊縮財政など歴代のイギリス政府の政策がもたらした結果でもあったのだが、離脱派はイギリス社会が抱えるさまざまな問題の原因をEUに押しつけることに成功した。それとは対照的に、残留派は個人的な野心や党利党略にこだわるあまり、最後まで足並みがそろわなかった。離脱派の顔となった元ロンドン市長ボリス・ジョンソンは実際には残留を支持する立場であったが、キャメロンの後継争いで優位にたつために離脱派に加わった(そして僅差(きんさ)で負ける予定であった)といわれる。
野党労働党は党所属の国会議員のほとんどが残留支持であったが、最終盤に差しかかるまで全力を注ぐことはなかった。これは党首コービンJeremy Corbyn(1949― )の個人的な姿勢によるほかに、2014年のスコットランド独立をめぐる住民投票で独立に反対した結果、その後の総選挙で議席をスコットランド国民党(Scottish National Party:SNP)に奪われた二の舞を演じることを恐れたためであった。主要政党の残留派がうまく協力できていれば、結果は違ったものになった公算が大きい。
2016年の国民投票は、残留派、離脱派の双方が大げさな主張や一見して事実に反する主張を繰り返し、議論の質が低かったことが大きな特徴であり、「ポスト真実政治post-truth politics」なることばができたほどである。これは、数年に一度行われる選挙では、一度敗北しても次があるためにある程度マナーが守られるのに対して、国民投票では結果が数十年にわたって持続する可能性が高いため、どのような手を使っても勝とうとするインセンティブが働くためではないかといわれる。とくに離脱派は、結果判明後にそれまでの主張の多くを撤回したことで批判された。もっとも、このような政治的なデマが結果を左右したかどうかは疑問の余地がある。というのは、国民投票後に行われた世論調査で、自らの投票を後悔していると回答した有権者の比率はそれほど高くなかったからである。離脱派が51.9%対48.1%という僅差で勝利したのは、有権者がデマに踊らされたためというより、イギリス社会が大きく分断されていることの結果とみたほうが適切であろう。
[池本大輔 2022年3月23日]
だれがEU残留を支持し、だれが離脱を支持したのか。もっとも大きく投票行動を左右した要因は、学歴(高いほど残留支持)と年齢(若いほど残留支持)の二つであり、地理的にはロンドンとスコットランドで残留派が多数を占めた。逆に離脱への支持がもっとも強かったのは、衰退した工業地帯を擁するイングランド北部、とりわけその肉体労働者(ブルーカラー)層であった。そのため、グローバル化の恩恵をこうむるエリート層が残留を支持する一方、グローバル化から取り残された層が離脱を支持したといわれることが多いが、離脱派にはかなりの数の中間層も含まれている。
EUに対する立場は同性婚など個人の自己決定にかかわる問題や、環境保護・多文化主義など、社会的問題に対する態度と強い相関があり、これらの事柄に肯定的な態度をとる社会的リベラルな有権者がEUを支持するのに対して、伝統的家族観やナショナリズムを重んじる社会的保守の有権者はEUに敵対的であることが多い。離脱派には、イギリス独立党の支持者、EUの規制に反発する中小企業経営者、衰退したイングランド北部の工業地帯の労働者など雑多な集団が含まれ、経済的な利害も同一でなければ、明確な離脱後の青写真もなかった。その共通項は、社会的な保守主義であったのである。
[池本大輔 2022年3月23日]
国民投票の結果を受けてキャメロンは首相を辞任し、後を継いだメイは国民投票の結果を尊重しつつ、離脱派と残留派の間で折衷的な立場をとった。イギリス政府は2017年3月、EU基本条約(リスボン条約)50条に基づき正式に離脱意思を通告し、両者の正式な交渉が始まった。離脱条件の交渉は離脱後の移行期間の長さ、イギリスに居住するEU市民とEUに居住するイギリス市民の離脱後の法的地位、イギリスが支払うべき精算金の額、南北アイルランド間の往来の自由を維持する方法をめぐって行われた。離脱後のイギリス・EU関係については、(1)イギリスがEU離脱後もその単一市場にはとどまる欧州経済地域(ノルウェー)型、(2)二国間協定(スイス、カナダ)型、(3)協定のないWTO(世界貿易機関)型の三つの可能性があった。(1)を「ソフト離脱(soft Brexit)」、それ以外を「強硬離脱(hard Brexit)」とよぶこともある。イギリス政府はEUとの二国間協定を通じて単一市場に対する最大限のアクセスを得ようと試みたが、EU側はイギリスが単一市場のいいとこ取りをすることは認めないという態度をとった。
難航した交渉のすえ、両者は2018年11月にようやく「離脱条件に関する協定」と「離脱後の関係についての政治的宣言」に合意した。離脱後の関係の詳細は移行期間の交渉にゆだねられたが、イギリスが競争や国家補助金のルールをEUのそれに近づけ、既存の規制水準を低下させないことを条件に、可能な限り密接な物品貿易が維持される。サービス貿易やデータ保護については両者の関係は疎遠なものとなり、人の自由移動は終了する。離脱後の関係をめぐる交渉のなかで両者が南北アイルランド問題の解決に合意できない場合は、イギリスがEUと単一関税地域を形成する、などが定められた。
この離脱協定案は、イギリス国内でまったく異なる二つの方向から批判された。与党保守党内の強硬離脱派は、メイ案ではイギリスは実質的にEUとの関税同盟にとどまることになりかねず、第三国と自由に通商協定を結ぶ自由が存在しなくなると批判した。反対に与野党内の旧残留派勢力は、イギリスが離脱後もEUとより密接な経済的関係を維持するよう要求したり、残留のために再度国民投票を行うべきだと主張したりした。メイ案は議会下院で三度投票にかけられたものの三度とも否決され、2019年5月にメイ首相は辞意を表明した。
後任の首相に就任したジョンソンは、EUとの合意なし離脱も辞さずと主張する一方、議会を5週間にわたって閉会すると表明して国論を二分する騒ぎとなったが、最高裁判所は議会閉会を違法だと判断した。ジョンソンは、イギリス領北アイルランドを実質的にイギリス本土から切り離す形でEUと新たな離脱案に合意した。2019年12月、総選挙では国民投票で離脱を支持した有権者の票を集めた保守党が大勝、2020年1月にイギリスはEUから離脱した。両者は同年12月に「貿易と協力協定」を結んだが、イギリス側の要求で外交・安全保障問題は合意から除外されるなど、両者の関係は疎遠なものになった。
[池本大輔 2022年3月23日]
保守党政権は「グローバルなイギリスGlobal Britain」を標榜(ひょうぼう)し、イギリスをサービス業とデジタル業のグローバル・ハブとすることを目ざしている。具体的には、日米両国やインド、オーストラリアなどのEU域外国との経済的・政治的関係を深めつつ、インド太平洋地域への関与を強めることで、ブレグジットの悪影響を緩和しようとしている。しかし、その成果は未知数である。イギリス国内での注目点としては、EU残留派が多数を占めたスコットランドが独立に踏み切るかどうかという問題もある。
一方、EU内では、イギリスのEU財政に対する貢献額がドイツに次いで第二位であったため、その穴をどう埋めるかが争点となっていた。EU諸国は2021年以降の新たな多年次財政枠組みとコロナ復興基金に合意し、ブレグジット後の歩みを始めた。これまでさまざまな問題で統合の進展に反対してきたイギリスの離脱で、EU内の合意形成が容易になる場面もあるだろう。他方、両者の間には北アイルランドの法的地位をめぐる対立が続いており、イギリスという主要な加盟国が離脱したことで、外交・安全保障面でのヨーロッパの国際的な影響力の低下が懸念される。イギリスはNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)の一員であり続けるとはいえ、イギリスがヨーロッパとアメリカとの間の掛け橋として活動してきたことを考えると、EU離脱が欧米関係を疎遠にする一助となるかもしれない。
[池本大輔 2022年3月23日]
日本にとってイギリスは政治・経済両面でEUへの窓口となってきた国であるため、ブレグジットは日本にとっても対岸の火事ではない。日本政府はイギリスを拠点とする日本企業や日本経済全般への打撃を最小限に抑えるため、イギリスとEUの両者に対して可能な限り密接な関係を維持するように求める一方、EUとの間でEPA(経済連携協定)締結のための交渉を急いだ。
しかし、イギリスがEUから強硬離脱することになったため、EUとイギリスの双方と、個別にEPAを結んだ。日英間や日仏・日独間では、経済面だけでなく、外交・安全保障面での協力を深める動きも進んでいる。
[池本大輔 2022年3月23日]
『細谷雄一編『イギリスとヨーロッパ:孤立と統合の二百年』(2009・勁草書房)』▽『梅川正美・阪野智一・力久昌幸編著『イギリス現代政治史』(第2版・2016・ミネルヴァ書房)』▽『遠藤乾著『欧州複合危機:苦悶するEU、揺れる世界』(2016・中公新書)』▽『益田実・山本健編著『欧州統合史:二つの世界大戦からブレグジットまで』(2019・ミネルヴァ書房)』▽『池本大輔・板橋拓己・川嶋周一・佐藤俊輔著『EU政治論:国境を越えた統治のゆくえ』(2020・有斐閣)』▽『鶴岡路人著『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(2020・ちくま新書)』▽『スティーブン・デイ・力久昌幸著『「ブレグジット」という激震:混迷するイギリス政治』(2021・ミネルヴァ書房)』
(2016-6-30)
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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