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ブーランジェ事件 ブーランジェじけんAffaire Boulanger

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブーランジェ事件
ブーランジェじけん
Affaire Boulanger

1889年フランス第三共和政を動揺させた事件。クリミア戦争などで戦功を立てた G.ブーランジェ将軍は,議会政治に不安と不満をもつ民衆に熱狂的な人気を博し,右派からは対ドイツ報復の英雄に祭り上げられ,同年1月下院のセーヌ県補欠選挙で大勝したとき,その独裁へのクーデターが待望された。しかし,ブーランジェは機会を逃し,陰謀企画のかどで政府に喚問される直前ベルギーに亡命した。

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百科事典マイペディアの解説

ブーランジェ事件【ブーランジェじけん】

19世紀末,フランス第三共和政を揺るがせた事件。ドイツにアルザス・ロレーヌを奪われたことから高まっていた対独復讐の気運の中,1887年陸相を解任されたブーランジェN.Boulangerは右翼勢力に接近して,対独報復・反議会主義・憲法改正を叫んで不平分子を糾合し,1889年にはクーデタ決行寸前の状態に至ったが,彼の逡巡(しゅんじゅん)によって不発に終わった。
→関連項目カルノー

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世界大百科事典 第2版の解説

ブーランジェじけん【ブーランジェ事件】

ブーランジェGeorges Ernest Jean Marie Boulanger(1837‐91)将軍を中心に,1880年代後半のフランス政治をゆるがした一連の動きをいう。第三共和政初頭を支配した共和派は,オポルチュニスト(日和見派)とよばれた。ブーランジェは,これと対立するクレマンソーらの急進派に推され,86年1月から87年5月まで陸軍大臣を務めた。軍にかかわる改革,ことに共和主義的改革や兵制の民主化などの措置で名をあげた彼は,名門の出でないだけに,いっそう大衆的人気の的になる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブーランジェ事件
ぶーらんじぇじけん

1880年代後半のフランスにおいて、ブーランジェ将軍を中心に引き起こされた反議会主義的社会運動。
 1880年代の第三共和政をリードしていた保守的共和派の路線は、オポルチュニスム(日和見(ひよりみ)主義)とよばれ、大銀行資本の利害には忠実であったが、共和主義的改革への取り組みは十分でなかった。しかも、82年以降の不況で失業者が増大するなど、大衆の不満が鬱積(うっせき)していた。このような状況のもとで陸相となったブーランジェは、炭坑ストで坑夫に共感を示して労働者に歓迎され、さらには兵制の民主化や独仏国境紛争での強硬姿勢によって、一躍国民的英雄ともてはやされた。
 彼の大衆的人気は、プロイセンとの戦争(プロイセン・フランス戦争、1870~71)に敗れて以後国民の間に広く存在した対独復讐(ふくしゅう)熱をあおるものであり、ビスマルク外交の前に弱腰なフェリーらオポルチュニストの対外政策ともまっこうから対立するものであった。そのため、87年に彼が陸相を更迭され、地方の軍司令官への左遷が決定されると、パリではこの措置に反対する大衆運動が爆発し、ブーランジェはにわかに反オポルチュニスム諸潮流を糾合するシンボル的存在となった。すなわち、極左のブランキ派、デルレードPaul Droulde(1846―1914)の率いる「愛国者同盟」、さらにはボナパルト派から右翼王党派に至るまで、左右の急進的諸派がブーランジェを担ぎ出し、「議会解散、憲法改正」を旗印に華々しい街頭キャンペーンを展開した。
 1888年に入ると、このような議会外大衆運動の盛り上がりを背景に、ブーランジェは各地の補欠選挙に次々と勝利を収め、かつてナポレオン3世が行ったように一種の人民投票的運動の積み重ねによって世論をあおった。翌年1月のパリの補選で、議会主義共和派の統一候補に圧勝した夜、「ブーランジスム」は最高潮に達し、首都は文字どおりクーデター前夜の熱気に包まれた。だが、彼はこの決定的瞬間に支持者の促すエリゼ宮への進撃を逡巡(しゅんじゅん)するという失態を演じた。逆に反撃に転じた政府の訴追を恐れてベルギーに逃亡(1889年2月)、欠席裁判で無期国外追放の処分(同年8月)を受けてブーランジスムは終息する。
 ブーランジスムは、議会外民衆運動に依拠して反議会主義、人民投票型民主主義を標榜(ひょうぼう)し、左右の諸派を糾合した点で、ナポレオン3世時代に現れたボナパルティスムと共通している。しかし、その支持基盤が大都市と北部工業地帯にほぼ限定され、都市急進運動の色彩が濃厚であった点で、後者と異なっている。そのため、第三共和政の支柱である農村に浸透することができず、かえってオポルチュニストと急進共和派との議会主義的結合による共和制の再編強化を促す結果となった。この民衆運動の熱気は、1890年代に入ると、社会主義とサンジカリスムの興隆、および右翼ナショナリズムに継承され、世紀末には、ドレフュス事件においてふたたび燃え上がることになる。[谷川 稔]
『大仏次郎著『ブーランジェ将軍の悲劇』(1971・朝日新聞社) ▽中木康夫著『フランス政治史 上』(1975・未来社)』

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