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プラハ条約 プラハじょうやくTreaties of Prague(Praha)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プラハ条約
プラハじょうやく
Treaties of Prague(Praha)

(1) 1635年5月 30日,三十年戦争後期,スウェーデンを盟主とするプロテスタント諸侯がドイツ皇帝と和睦して調印した講和条約。宗教上の領域関係を 27年の旧状に復することが定められた。 (2) 1866年8月 23日,プロシア=オーストリア戦争終結後締結された講和条約。この条約により,敗戦国オーストリアはドイツ連邦解散を認め,プロシアを盟主とする北ドイツ連邦の形成を承認,プロシアに 20万ターラーの賠償金を支払うことを約束した。戦勝国プロシアは,シュレースウィヒホルシュタイン,ハノーバー,ヘッセン,ナッサウ,フランクフルトアムマインの領有をかちとった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プラハ条約
ぷらはじょうやく

1866年8月23日にチェコスロバキアのプラハPrahaで成立したプロイセン・オーストリア戦争の講和条約。7月26日に両国間で締結されたニコルスブルクの予備講和の諸条項を基本的に追認したもので、(1)ドイツ連邦の解体、(2)プロイセンによる北ドイツ統一へのオーストリアの不介入を決めたほか、(3)オーストリアはベネチアをイタリアに割譲し、シュレスウィヒ・ホルシュタインに対する権利を失い、償金4000万ターレルを支払う、などをおもな内容とする。条約締結にあたり、プロイセンのビスマルクは軍部などの意見を抑えてオーストリアに寛大な処置をとったが、これは、彼がヨーロッパ列強の介入を憂慮し、将来のオーストリアとの友好を保持することを希望したからであった。[末川 清]

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