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ペトラシェフスキー Petrashevskii, Mikhail Vasil'evich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペトラシェフスキー
Petrashevskii, Mikhail Vasil'evich

[生]1821.11.13. ペテルブルグ
[没]1866.12.19. エニセイ,ベリスコエ
ロシアの革命家。本名 M.V.Butashevich。空想的社会主義者。名ばかりの貴族の家庭に生れ,ペテルブルグ大学卒業後外務省に通訳として勤務。次第に社会主義思想へと近づき,その普及のために『外来語ポケット辞典』 Karmannyi slovar' inostrannykh slov (1845~46) の編集に加わった。 1848~49年革命的秘密結社を企てたが事前に発覚,逮捕され,ドストエフスキーとともに死刑宣告を受けた (ペトラシェフスキー事件) が,刑場で減免されシベリア流刑となった。しかし革命精神は衰えることなく,恩赦によって自由の身になってからも,60年代の革命運動に積極的に参加した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペトラシェフスキー
ぺとらしぇふすきー
Михаил Васильевич Петрашевский Mihail Vasil'evich Petrashevskiy
(1821―1866)

ロシアの思想家。ペテルブルグ大学法学部を卒業後、1844年から自宅で集会を開くようになる。彼の編んだ『ポケット外国語辞典』(1846)中の論文などで、専制廃絶の訴えとともにフーリエを師としてユートピア社会主義の意識的な普及をロシアで最初に行ったが、急速な変革は望まず、仲間との秘密結社設立計画も考えの域を出なかった。フォイエルバハを哲学の師とし、人類の普遍的・包括的な再生の信念、および人間の真の欲求を全面的に満足させる調和的な社会主義形態への移行の必然性の信念とともに、言論・出版の自由といった民主主義的改革も重視した。組織や綱領をもたず、さまざまな人からなる彼のグループは、革命的民主主義への過渡期の位置を占める。1849年一斉に検挙され、20余名がシベリアに送られた。[大竹由利子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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