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フォイエルバハ Feuerbach, Anselm

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フォイエルバハ
Feuerbach, Anselm

[生]1829.9.12. スパイエル
[没]1880.1.4. ウィーン
ドイツの画家。哲学者 L.フォイエルバハの甥で,ドイツ後期古典主義の代表。 1845年にジュッセルドルフ・アカデミーに入学,ミュンヘン,パリで学んだのち 55~73年にはイタリアに滞在,V.ティツィアーノの作品から影響を受けた。 73~76年ウィーン美術学院教授をつとめ,再びイタリアを訪れたがウィーンに戻り死亡。主要作品『イフィゲネイア』 (1862,71) ,『アマゾンの戦い』 (69~73,) ,義母の H.フォイエルバハの肖像。

フォイエルバハ
Feuerbach, Ludwig Andreas

[生]1804.7.28. ランツフート
[没]1872.9.13. ニュルンベルク近郊レーヒェンベルク
ドイツの唯物論哲学者。キリスト教批判で知られる。ヘーゲル哲学左派に属する。ベルリン大学に学び,ヘーゲルの影響を強く受けた。 1828年エルランゲル大学講師となったが,30年匿名の論文『死と不死についての考察』 Gedanken über Tod und Unsterblichkeitでキリスト教を批判し,32年大学を追われた。ブルックベルクに隠退後は,一時期 (1848~49年の冬学期) ハイデルベルク大学に出講したが,大半をヘーゲル哲学とキリスト教批判の著述に費やした。主著『キリスト教の本質』 Das Wesen des Christentums (41) はマルクスエンゲルスらに多大の影響を与えた。

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百科事典マイペディアの解説

フォイエルバハ

ドイツの哲学者。刑法学者P.J.A.v.フォイエルバハの子。ヘーゲル左派ヘーゲル学派)に属する。キリスト教批判によりエルランゲン大学を追われ,窮迫のうちに没した。
→関連項目エリオットケラー

フォイエルバハ

ドイツの法学者。イェーナ,キール大学等の教授。ドイツ近代刑法学の父といわれる。犯罪によって得られる快楽以上の苦痛を予告することにより,犯罪から遠ざけるとする心理強制説を主張し,そのために罪刑法定主義を確立。
→関連項目フォイエルバハ

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世界大百科事典 第2版の解説

フォイエルバハ【Anselm Feuerbach】

1829‐80
ドイツの画家。シュパイヤー生れ。考古学者を父とし古典的教育を受けるが画家を志し,ドイツのほか,オランダ,フランス,イタリアで勉学,ルーベンスクールベベネチア派の影響を受ける。1855年からおもにイタリアで活動,A.ベックリンとも交わる。古典的世界にあこがれ古代,ルネサンスの大芸術を継がんと志すが,英雄的世界を,肖像を描くように写実的にかつ審美的距離を置いて描き出そうとしたため理想の実現までには至りきれず,舞台写真めいた結果を招く。

フォイエルバハ【Ludwig Andreas Feuerbach】

1804‐72
ドイツのヘーゲル左派を代表する哲学者。人間学の観点から,ヘーゲルの神学を批判した。有名な刑法学者P.J.A.vonフォイエルバハを父として,学者一家に生まれ,ベルリン大学でヘーゲルに学んで深く傾倒した後,エルランゲン大学私講師となったが,キリスト教批判の論文《死および不死についての考察》(1830)を発表したために職を失い,以後,市井にあって論述を続けた。 主著《キリスト教の本質》(1841)では,人間は個人としては有限,不完全,非力であるが,〈類的本質〉である理性・意志・愛においては無限であると説いた。

フォイエルバハ【Paul Johann Anselm von Feuerbach】

1775‐1833
ドイツの刑法学者。近代刑法学の父といわれる。イェーナ近郊で生まれた。イェーナ大学でカント哲学の研究を始めた後,法学に転じた。イェーナ大学,キール大学,ランツフート大学の教授を歴任し,辞任後バイエルン王国司法省に入り,〈バイエルン刑法典〉(1813)の起草にあたった。その後バンベルク控訴院次長,さらにアンスバハ控訴院長を務めた。彼の刑法理論の根幹をなすのは〈心理強制説〉である。すなわち,人は犯罪からえられる快楽とそれに対して科される刑罰という苦痛とを比較し,苦痛が快楽より大きいときは犯罪を行わないように心理的に強制されるであろう。

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世界大百科事典内のフォイエルバハの言及

【疎外】より

…つまりヘーゲル解釈を宗教批判の方向にすすめたのである。L.A.フォイエルバハにおいて,人間の本質は感性的人間の類的本質にある。〈類〉の概念は,ヘーゲルの自然哲学における人間観から採られている。…

【ヘーゲル学派】より

…彼は一躍,左派を代弁する危険人物となり,その周りにはマルクスなど,若手の急進主義者が群がった。エヒターマイヤーE.T.Echtermeyerとルーゲの編集する《ハレ年誌》には,シュトラウス,L.A.フォイエルバハ,バウアーが結集した。彼らは青年ヘーゲル学派とも呼ばれ,ヘーゲルの内在的批判を通じて,現実的人間を中心とする世界観を築いていった。…

【無神論】より

… 19世紀に無神論は人間主義的無神論という新しい段階に達した。ヘーゲル左派の宗教批判は無神論的立場に達したが,そのなかで絶対的な新しさによって異彩を放っているのはL.A.フォイエルバハである。彼は神を人間の願望の対象化されたものとみて,〈神学の秘密は人間学である〉という見地から宗教と神学の変革を企てた。…

【カスパール・ハウザー】より

…長く地下牢に幽閉されていたらしく,いつも座位を強制され,水とパンだけ与えられて,世間と没交渉で育った。法学者P.J.A.vonフォイエルバハに引き取られ,やがて書記にまでなるが,何者かに2度にわたって襲われて絶命した。出自については,ナポレオン1世の子とか,バーデン大公カール・フリードリヒの子とかの説があり,相続をめぐって幽閉,抹殺されたと称される。…

※「フォイエルバハ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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