ホイットリー委員会 (ホイットリーいいんかい)
Whitley Committee
1916年イギリスで下院議長J.H.ホイットリーを議長として設置された政府および労使の3者で構成する労使関係に関する委員会の通称。正式名称はCommittee on Relations between Employers and Employed(労使関係委員会)。第1次大戦末期,労使関係が悪化するなかでイギリス政府は,戦後の労使関係が悪化することを懸念してこの委員会を設置,戦後再建案を検討させた。委員会は17-18年にわたって5回の報告を提出し,産業,地域,事業所の3段階に労使の代表による協議機関を設け,各段階の委員会を相互に関連させながら全領域での産業平和を安定させる方式を提唱した。この提唱により設けられた協議機関のことをホイットリー協議会Whitley Councilないしホイットリー委員会という。主要な労働組合は従来どおり団体交渉制度によって労働条件を決定する方式を好んだので実際にはあまり普及しなかったが,公務員の労使関係で制度化されたほか,労使協議制の普及に貢献した。また国際的には労使関係安定のための模範的な方式(ホイットリー方式)として普及し,大きな影響を与えている。
→労使協議制
執筆者:栗田 健
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ホイットリー委員会
ホイットリーいいんかい
Whitley Council
正式名称は「使用者および被使用者の関係に関する復興委員会」 Reconstruction Committee on the Relations between Employers and Employedという。 1916年イギリスで労使の紛争を解決するために各産業部門ごとに設けられ,労使双方同数の代表から構成された委員会。下院議長であった J. H.ホイットリーが委員長であったためこの名称で呼ばれる。同委員会は5つの報告書を提出し,労使の自主的な協議による労働問題の解決を訴えた。その結果全国合同産業協議会や労働裁判所が設置された。それらは当初は労使相互の協議の場を提供することを目的として仲裁的機能をもたなかったが,次第に政府の反対を押切って,公務員組織,中小企業など未組織労働者の賃金,労働条件改善のための実際の仲介にあたるようになり成功を収めた。
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「ホイットリー委員会」の意味・わかりやすい解説
ホイットリー委員会【ホイットリーいいんかい】
1916年,第1次大戦中の産業平和の実現と生産性向上を目的として英国議会に設けられた委員会。委員長ホイットリーJ.H.Whitleyの名に由来。労使同数の委員からなる合同委員会(これもホイットリー委員会と通称)によって労使間の紛争を処理する方式(ホイットリー方式)を提唱し,一時各産業で広く実施された。現在は公務員組合を中心に定着している。→労使協議制
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世界大百科事典(旧版)内のホイットリー委員会の言及
【産業民主主義】より
…この戦争遂行のためにヨーロッパ各国は国民的統合を強化する必要に迫られ,労使間の対立の緩和を達成するための積極的政策を打ち出した。イギリスでは戦時内閣が戦後社会における労使関係のあり方を検討する[ホイットリー委員会]を設置したが,この委員会は企業,地域,産業の各段階に労使協議制を整備する構想を発表し,これはホイットリー方式として多くの国々に波及した。ドイツでは敗戦によって旧勢力が瓦解した後,社会民主党の主導下で従業員代表制による経営評議会が制度化され,労働者参加の道が開かれた。…
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