日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホミャコーフ」の意味・わかりやすい解説
ホミャコーフ
ほみゃこーふ
Алексей Степанович Хомяков/Aleksey Stepanovich Homyakov
(1804―1860)
ロシアの思想家、詩人。キレーエフスキーと並ぶスラブ派(スラボフィル)思想の提唱者。貴族の出身。家庭教育を受けたのち、モスクワ大学で数学の学位を獲得、1828~1829年のロシア・トルコ戦争従軍後、本格的な文筆活動に入る。若いころから才能ある詩人として注目されていたが、1830年代以降はスラブ派思想形成において指導的な役割を果たした。1840年代の西欧派・スラブ派論争では後者のもっとも先鋭な論客として活躍した。歴史哲学分野の主著『世界史に関する覚え書き』(1830、1840年代執筆)のなかで彼は、歴史をイラン的原理(自由)とクシ的原理(必然性)の間の闘争としてとらえ、ロシアはイラン的原理を体現していると説いた。他のスラブ派思想家と同様に、西欧に対するロシアの優越性の根拠を、正教と、征服によらない民族形成、共同体原理のなかに求めた。1850年代以降は正教徒の立場から宗教問題に関する著作を著した。彼の宗教哲学の中心概念「全一性」(ソボールノスチ)は、後年ソロビヨフ、ベルジャーエフらのロシア宗教哲学の基本概念の一つとなっている。農奴解放問題に対しては、一貫して農奴の全面解放を主張した。
[長與 進]