一般に庶民の家庭を舞台にして,家族間の葛藤や家庭内の問題などをユーモアとペーソスをまじえながら描きだす,多くは映像によるドラマ。home(家庭)もdrama(劇)も英語であるが,それらを合わせた〈ホームドラマ〉は和製英語であり,この範疇(はんちゆう)自体がきわめて日本的なものであると言える。
多くの和製英語がそうであるように,この言葉の起源も明らかでないが,映画の世界では第2次大戦前から,広く用いられた言葉であった。映画史家の田中純一郎は,松竹の新撮影所長城戸(きど)四郎の方針の下に作られた一連の島津保次郎監督作品(《お父さん》1923,《日曜日》1924,等)をホームドラマの先駆的作品としてあげ,ほぼ同時代の五所平之助監督作品や小津安二郎監督作品も含めて,いわゆる〈小市民映画〉の流れに連なるものとしている。このようなホームドラマの登場は,当時の新しい〈中間階級〉,すなわちサラリーマン階級の台頭と表裏の関係にあったが,田中も指摘するように,日本人固有の〈家族主義〉の伝統も,この〈城戸イズム松竹調〉(いわゆる〈蒲田調〉)のドラマトゥルギーに大きく影響していたとみることができる。
このように,大衆のなかの〈生きたジャンル〉としてのホームドラマは,戦前の松竹映画を嚆矢(こうし)とすると言ってよいが,それがある変容を含みつつ一気に隆盛し,一つの画期を示すのは,戦後の〈テレビ時代〉の到来以降のことである。1958年4月にNHKで放送が開始された《バス通り裏》(以後1963年3月まで月~土曜の夜7時15分~7時30分に放送。十朱(とあけ)幸代ほか出演)を一つの原型として,以後各局が競ってホームドラマを作るようになり,ホームドラマはテレビドラマの中核的存在となったばかりでなく,テレビという大衆的メディアのなかでも最も大衆に好まれる番組の一つとして,昭和30年代から今日に至るまで,ほぼ変わらぬ隆盛ぶりを示す。
一方,映画のホームドラマは,この間衰退の道をたどり,逆に家族のそれぞれを不幸の底において,試練のなかでの人間的真実と人間の成長を描く《キューポラのある街》(1962。浦山桐郎監督日活作品,吉永小百合ほか出演)のような〈アンチ・ホームドラマ〉(この命名は映画評論家の岩崎昶による)が,映画独自の試みとして行われたりもした。
ホームドラマはその名称が示すように,〈茶の間のメディア〉としてのテレビにこそ最もふさわしいジャンルであり,ホームドラマというその名称も,テレビ時代に入って初めて一般に定着した。しかし,テレビのホームドラマには,〈明るさ〉〈健康さ〉〈ハッピーエンド〉〈日常風景の写生〉等々のように,かつての〈松竹調〉と共通の要素が多く見いだされ,両者はメディアの違いということでは断絶を示すものの,内容的には明らかに一つの系譜を形づくると言うことができる。ただし,テレビのホームドラマには,〈茶の間の観客〉をドラマに同化させるためのしかけとして,特定の日常風景の描写の徹底化,またその描写手法の類型化という新しい特徴(あるいは映画にみられた特徴の深化)がみられる。〈飯ばかり食っていて〉とか〈ささいな事ばかり描いて〉といったホームドラマに対する批判がそのことをよく示しているが,実はそのような〈茶の間〉の環境との擬似的等質性こそが,ハッピーエンドの安心感とも相まって,多数庶民のホームドラマへの共感を呼ぶのだと言える。
こうしたホームドラマは,一見,身動きの取れぬマンネリズムに陥りそうに思えるが,上記のような大枠の中での〈細部の変奏〉はまったく自由であり,そのような多様な細部が,出演人気タレントのバラエティの魅力とともに,これまで多くの人々を楽しませてきた。また,近年活躍した橋田寿賀子(1925- ),山田太一(1934- ),向田邦子(1929-81)といった第一線のシナリオライター(ちなみに,橋田は松竹脚本部の出身であり,山田は松竹で木下恵介の助監督をしていた)の諸作品にみられたように,ホームドラマは現実の家庭の人間関係の変貌や種々の社会的問題を,ある距離を置きながらも,その中に反映させて,同時代の身近なドラマとして〈茶の間〉の人気を保ち続けている。
執筆者:川添 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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