改訂新版 世界大百科事典 「ポリテクニコ」の意味・わかりやすい解説
ポリテクニコ
Politecnico
1839年C.カッターネオによって創刊されたミラノの科学・文化誌。月刊誌として発足したが,2年目から隔月刊となる。時代の要請する科学と文化の新しいあり方を追求,同時代の思想形成にも大きな影響を与え,19世紀のイタリアで最も重要な雑誌の一つに数えられている。同誌は,カッターネオの指導のもとで,44年まで刊行(第1次シリーズ)。その後一時中断したのち,彼自身によって59年に再開され,68年まで続く(第2次シリーズ)。しかし,1862年ころからは編集者との不和のため,カッターネオの指導は事実上行われなくなり,さらに65-66年には指導者が完全に交代し,編集方針にも大きな変化が生じた。69年には《ジョルナーレ・デリンジェニェーレ・アルキテット》誌(1853年ミラノで創刊)と合併し,1937年まで二つのタイトルを冠して刊行される。第1次シリーズでは,自然科学,医学,技術,経済,哲学,歴史,文学といった多岐にわたる分野の論文が収められている。それに対して,第2次シリーズでは新しい近代国家の建設にかかる問題に重点がおかれ,政治的色彩も強くなっている。1865年以降はもっぱら文学の比重が高まる。なお,1945-47年にはE.ビットリーニの主宰で,やはりミラノにおいて同名の雑誌が刊行されている。こちらの方は,第2次大戦直後のイタリアの文化的状況を象徴的に表現する左派系の政治・文化誌として知られている。
執筆者:堺 憲一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報