ソ連の数学者。モスクワの南西約400kmにあるトルブチェフスクで生まれる。14歳のとき爆発事故により完全に失明したが,母の助力に支えられて勉学し,1925年モスクワ大学に入学した。P.S.アレクサンドロフに師事して,19歳で位相幾何学の双対定理に関する論文を発表,29年に卒業した。以後,次元論や双対定理に関して優れた業績をあげ,次いで位相群,位相体やリー群に関する画期的研究を行い,35年にモスクワ大学教授となった。40年ころからはホモトピー論や多様体のホモロジー論を研究し,その後の位相幾何学の発展に大きな貢献をした。また,早くから振動論や自動制御に現れる常微分方程式にも関心をもっていたが,52年以来それらに関するセミナーを主宰し,いわゆる〈ポントリャーギンの最大値原理〉の発見などの業績をあげた。著書《連続群論》(1938)は名著のほまれが高い。
執筆者:中岡 稔
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ソ連の数学者。モスクワ生まれ。13歳のときの爆発事故で両眼失明。モスクワ大学でアレクサンドロフに位相幾何を学び、1935年からモスクワ大学とステクロフ研究所に属した。位相群論のポントリャーギン双対性や位相幾何のポントリャーギン特性類などが有名で、『連続群論』(1938)や『位相幾何学の基礎』(1947)は各国語に翻訳されている。一方、物理学者のアンドロノフAleksandr Andronov(1901―1952)と協力して微分方程式の応用を研究、のちに『最適過程の数学的方法』(1961)でレーニン賞受賞。ソ連の数学界においては、反ユダヤ志向の持ち主として知られた。
[森 毅]
…自動制御系の設計法の一つに最適制御があるが,最大原理は最適制御の基礎となる定理で,1950年代の終りにソ連の数学者ポントリャーギンらによって確立された。この原理は制御系の設計法に新しい視点を導入し,60年代の現代制御理論の発展の原動力となった。…
…線形計画法や非線形計画法と対比されるが,静的な最適化にくらべ動的な最適化ははるかに複雑な問題で,かなり高度の理論とめんどうな計算を必要とする。最適制御の理論的基礎は,ソ連の数学者L.S.ポントリャーギンによって導かれた最大原理とアメリカの数学者ベルマンRichard Bellmanによって提案された動的計画法にある。両者は1960年前後にほぼ同時に確立された。…
※「ポントリャーギン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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