南アフリカ共和国南部、東ケープ州南部の都市。インド洋に面する港湾都市である。人口85万3204(1991)、83万3900(2002推計)。人種別内訳は白人18万3901、黒人45万5251、カラード20万4504、アジア系9548となっている(以上1991)。1820年、イギリスからの大量移民が入植し、当時のケープ総督代理ドンキンの妻の名にちなんで命名された。町は内陸の山麓(さんろく)の斜面をアルゴア湾に沿って16キロメートルにわたって広がる。初めケープ・タウンに次ぐ羊毛の輸出港であったが、第二次世界大戦後、臨海工業地帯として発展し、ゼネラル・モーターズ社やフォード社の自動車組立て工場などが建設され、南アフリカ共和国四大工業地帯の一つとなった。町の中心は鉄道駅近くのマーケット広場で、その周囲には市庁舎、中央郵便局、図書館などの歴史的建物が並ぶ。港は1840年に最初の埠頭(ふとう)がつくられて以来拡大し、現在はコンテナ船専用の埠頭もある。
[林 晃史]
南アフリカ共和国南部,東ケープ州の港湾都市。大都市域人口100万5779(2001)。インド洋のアルゴア湾に臨み,鉄道,道路,航空路の要衝で,ダイヤモンド,羊毛,果物などの輸出港である。また自動車,電機,金属加工,木工など工業生産の中心でもある。博物館,美術館その他の文化施設もあり,海岸は保養地として内陸の白人たちに知られている。1799年イギリスが建設したフレデリック要塞を母体として,1820年に約3000人のイギリス移民が入植した後,ケープ植民地代理総督R.ドンキンが死亡した妻エリザベスを記念して石のピラミッドを建て,新都市の名も彼女にちなんで命名した。73年にダイヤモンド鉱山のあるキンバリーに通じる鉄道が開通して以来,貿易港として急速に発展し,さらに南ローデシア(現,ジンバブウェ)などとも鉄道で結ばれて港湾都市,工業都市としての重要性が高まった。
執筆者:西野 照太郎
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