マカーレンコ(その他表記)Anton Semyonovich Makarenko

改訂新版 世界大百科事典 「マカーレンコ」の意味・わかりやすい解説

マカーレンコ
Anton Semyonovich Makarenko
生没年:1888-1939

ソ連邦教育者,作家。集団主義教育の提唱者として著名である。ウクライナのペロポリ市に生まれる。1917年ポルタワ高等師範学校を卒業,20年政府の要請によって浮浪児や未成年の法律違反者を収容する労働コローニアの所長となる。ゴーリキー・コローニアと名づけられたこの施設で,すさんだ少年たち再教育にあたり,ソビエト社会にふさわしい市民の育成に成功した。その教育経験は,彼の長編小説《教育詩Pedagogicheskaya poema》(1933-35)に詳しく描かれている。28年から35年まではジェルジンスキー・コムーナの所長となり,ソビエトではじめての写真機生産工場を生徒の労働によって経営するなど,青少年集団的教育と生産労働とを結合する社会主義的教育を実践した。ここでの経験を作品化したのが《塔の上の旗》(1938)である。ゴーリキーから強い影響をうけ,〈人間に対するできるかぎり大きな要求とできるかぎり大きな尊敬〉を教育の基本原理にすえ,その目的は共産社会の建設をめざすソビエト人民の目的によって規定されるとした。また,〈集団における集団を通しての集団のための教育〉を教育の理想的形式と考え,集団形成の力学を明らかにした。マカーレンコのこうした集団主義教育思想は,戦後日本の進歩的教師に大きな影響を与え,〈集団づくり〉の指針とされている。主著にはほかに《親のための本》(1937)などがあり,邦訳として《マカーレンコ全集》8巻がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「マカーレンコ」の意味・わかりやすい解説

マカーレンコ

ソ連教育家。革命後,未成年法律違犯者収容施設〈労働コローニア〉の所長となり,少年たちの再教育に従事。その経験をもとに《教育詩》《塔の上の旗》等の教育小説を発表した。またゴーリキーの強い影響下に教育理念を形成し,〈集団における集団を通しての集団のための教育〉という集団主義教育を提唱した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android