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マッタ Matta, Roberto

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マッタ
Matta, Roberto

[生]1911.11.11. チリ,サンチアゴ
[没]2002.11.23. イタリア,チビタベッキア
チリ生まれの画家。フルネーム Roberto Antonio Sebastian Matta Echaurren。裕福な家庭に生まれ,1931年にサンチアゴのカトリック大学で建築学の学位を取得,2年後に渡欧,1930年代半ばにはパリのル・コルビュジエの建築事務所に勤めた。アンドレ・ブルトンらと知り合い,シュルレアリスム運動に傾倒,1939年にニューヨークに移って絵画を描き始めた。1940年代には抽象表現主義の画家に大きな影響を与えたが,1948年にヨーロッパに戻る。左翼主義者だったため 1950年代にはアメリカ合衆国政府から危険人物とみなされ,また,1973年のピノチェト・ウガルテ軍事政権発足後は祖国チリでも歓迎されなかった。1956年にパリの国際連合教育科学文化機関 UNESCO本部の壁画『三つの世界の疑念』を制作。1957年にニューヨーク近代美術館 MOMA,1985年にパリのジョルジュ・ポンピドー国立芸術文化センターで回顧展を開いた。

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百科事典マイペディアの解説

マッタ

チリの画家。チリ南部に近いチロエ島で生まれた。サンティアゴで建築を学び,1930年ヨーロッパに渡る。1934年シュルレアリスムの画家マグリットに出会い,ル・コルビュジエの建築事務所で働くことになる。

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世界大百科事典 第2版の解説

マッタ【Roberto Sebastián Antonio Echaurren Matta】

1912‐2002
チリの画家。サンチアゴで建築を学んだのちヨーロッパに渡り,ル・コルビュジエの建築事務所に籍を置く。1937年よりシュルレアリスム運動に参加。第2次大戦中はニューヨークに滞在し,ゴーキーら抽象表現主義の画家に大きな影響を与えた。彼の意識下のイメージをえぐり出すような内景(インスケープ)の描出は映画的とも評され,機械文明批判の主張ももっている。54年からパリ在住。56年ユネスコ本部に大壁画を制作。【加藤 薫】

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世界大百科事典内のマッタの言及

【ノルデステ】より

… 今日では国内でも低開発と貧困の問題地域となっているが,かつてはブラジルでも最もダイナミックな地帯で,1763年まで首都はサルバドルにあった。大西洋岸沿いの高温湿潤なマッタと呼ばれる森林地帯には肥沃なマサッペ(黒色土)土壌が広がり,植民初期からポルトガル人によって大土地所有制と奴隷制に基づく砂糖のプランテーションが発達した(とくにペルナンブコ,バイア,アラゴアス地帯)。初めインディオが奴隷労働力として使役されたが,やがてアフリカ西海岸から大量に導入された黒人にとって代わられた。…

※「マッタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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