マビューズ(読み)まびゅーず(英語表記)Mabuse

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マビューズ」の意味・わかりやすい解説

マビューズ
まびゅーず
Mabuse
(1470/80―1532)

フランドル画家本名ヤン・ホッサールト(ゴーサルトJan Gossaert)といい、モーブージュに生まれる。おそらくブレダで没したと推定される。1503年アンベルスの画家組合に登録されている。08~09年ブルゴーニュ公フィリップに随伴してローマに赴き、古代ローマの建造物や彫刻作品をデッサンする。帰国後は公の宮殿のために装飾の仕事をした。タブローでは神話的主題や聖母像肖像画を描き、フランドルとイタリアの伝統の総合を果たし、マニエリスムに道を開いた。代表作は『聖母を描くルカ』(プラハ国立ギャラリー)、『ダナエ』(ミュンヘンアルテ・ピナコテーク)、『少女像』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)など。

[野村太郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マビューズ」の意味・わかりやすい解説

マビューズ
Mabuse, Jan

[生]1480頃.エノー,モブージュ
[没]1532. ブレダ
フランドルの画家。本名 Jan Gossaert。アントウェルペンで画家として知られていたが,ユトレヒト司教フィリップの宮廷画家となり,1508~09年ローマに遊学。ユトレヒト,ブリュージュブリュッセルなどでイタリア・ルネサンス様式を紹介し,神話画,肖像画を描いた。 24年のフィリップの死後ミデルブルフに引退,フィリップの甥アドルフに仕えた。作品は『東方三博士の礼拝』 (1509~11,ロンドン,ナショナル・ギャラリー) ,『ヤン・カロンドレ』 (17,ルーブル美術館) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマビューズの言及

【ホッサールト】より

…フランドルの画家。生地名から〈マビューズMabuse〉の通称がある。数年間ブリュージュで働いた後,1503年アントウェルペン(アントワープ)で自由親方に登録。…

※「マビューズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」