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マフディー派 マフディーは

百科事典マイペディアの解説

マフディー派【マフディーは】

19世紀末東スーダン地域に興ったイスラム教団。1881年,ムハンマド・アフマドが自らを終末論的なマフディー(救世主)であると宣言,ジハード(聖戦)を呼びかけて対英反乱を指導し,マフディー教団国家を建設した。
→関連項目オベイドオムドゥルマンスーダン

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世界大百科事典 第2版の解説

マフディーは【マフディー派】

19世紀東スーダンに成立した教団。成員はアンサールと自称する。1881年ムハンマド・アフマドマフディーmahdī宣言とともに開始されたマフディー反乱を通じて,終末論的なジハードを目ざす教団国家を形成,スーダン人の民族意識を生んだ。スンナやタフシール(コーラン注釈)に関する書物を焼き,コーラン,ラーティブ(ジクル集),マジュリス(マフディーのスンナ)を重視し,礼拝,ジハード,神の命令への服従,信仰告白,コーラン読誦,ラーティブ読誦をもって六柱とした。

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世界大百科事典内のマフディー派の言及

【オベイド】より

…エジプト領時代から商業の中心地として栄え,スーダンの産物の集積地であった。1881年マフディー派の軍がこの地を中心に勢力を増大させ,83年エジプト・イギリス連合軍を全滅させた。おもな産物は綿花,アラビアゴムである。…

【スーダン】より

…反乱には身分・出身のいかんにかかわらず広範な住民が参加,13年間にわたりスーダン人民族意識に支えられたマフディー国家が続いた。マフディーの組織した教団,マフディー派の成員は自らをアンサールAnṣār(支持者)と称し,反乱の中核を占めた。マフディーはシャリーアの実現に向け絶対的平等を維持したが,ムハンマド・アフマドの死後(1885),反乱は内部矛盾が表面化し,98年イギリス・エジプト連合軍により鎮圧された。…

【ハルツーム】より

…1820年エジプトのムハンマド・アリーによって建設され,ナイル航路の港として象牙・奴隷貿易等でにぎわった。1885年ジハードを叫んで立ち上がったマフディー派の軍は,ゴードンCharles George Gordon(1833‐85)将軍の率いるイギリス軍をハルツームにせん滅し,同地を占拠したが,1898年イギリスのキッチナー将軍によって町は占領・再興されイギリス式の町並みに整備された。ゴードン将軍が戦死した元総督府は,1956年独立後は大統領府となっている。…

【ムハンマド・アフマド】より

…スーダンのマフディー運動の指導者,マフディー派の創始者。ドゥンクラー(ドンゴラ)の船大工の子で,シャリーフの家系といわれる。…

※「マフディー派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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