フランスの政治家。カルバドス県の生まれ。航空機工場の機械工として出発し、第二次世界大戦中は徴用されドイツで働いた経験がある。戦後は労働組合運動で活動するなかで、1947年に共産党に入党。党内で順調に昇進を重ね、1959年に政治局員、1970年副書記長、1972年には病気のワルデック・ロシェにかわって書記長に就任した。1973年以来下院議員でもある。この間、1972年6月に社会党との間で政府共同綱領を成立させ左翼連合結成に寄与した。1981年の大統領選挙では社会党のミッテラン候補のために自らは第2回投票で立候補を辞退して、後者の大統領当選に貢献し、同政府に4名の共産党員を入閣させた。イタリア、スペインの共産党とともにプロレタリア独裁を放棄する「ユーロコミュニズム」路線を提唱したが、旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻やポーランドの「連帯」運動評価などで親ソ派の本音をみせ、党勢の退潮と相まって党内に批判勢力の台頭を招いた。1994年の党大会で書記長を辞任し、1996年に引退。1997年11月パリ市内の病院で死去。
[平瀬徹也]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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