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マンデス・フランス マンデスフランス

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百科事典マイペディアの解説

マンデス・フランス

フランスの政治家。経済通として知られ,第2次大戦中ド・ゴールの下で財政面を担当。1954年―1955年首相としてインドシナ戦争終結に尽力。1955年―1957年急進社会党副党首。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マンデス・フランス
まんですふらんす
Pierre Mands France
(1907―1982)

フランスの政治家。パリ生まれ。弁護士出身。1932年の選挙に25歳で急進社会党から立候補し当選。以後1940年まで下院議員を務め、1938年の短命な第二次ブルム内閣の財務次官となった。第二次世界大戦中は一時ビシー政府に捕らえられるが、ロンドンに逃れ、自由フランス空軍、ついでドゴールフランス解放委員会に参加した。解放後の1944年ドゴール臨時政府国民経済相に就任するが翌1945年辞任。ふたたび下院議員(1946~1958、1967~1968)を務め、しばしば国際金融機構でフランスを代表した。フランス軍のディエン・ビエン・フーの敗戦直後の1954年6月、インドシナ戦争を批判してきた前歴を買われて首相に就任し、ジュネーブ会議インドシナ休戦協定を成立させた。その後もチュニジアに自治を認めるなど懸案解決に努めたが、反対も強まり1955年辞任。1956年モレ内閣の国務相となるが、首相のアルジェリア政策を批判して同年辞任。ドゴールの政界復帰に反対して1959年急進党を除名され、統一社会党に所属したが、1973年に第一線を退いた。第四共和政時代のもっとも優れた政治家の1人であったが、議会の頭越しに直接国民に呼びかけるその政治スタイルが、ユダヤ系の家系と相まって敵を多くし大成を妨げた。[平瀬徹也]

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