日本大百科全書(ニッポニカ) 「モジャーエフ」の意味・わかりやすい解説
モジャーエフ
もじゃーえふ
Борис Андреевич Можаев/Boris Andreevich Mozhaev
(1923―1996)
ソ連・ロシアの作家。リャザニ州ピテリノ村に生まれる。1948年、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)の海軍工業専門学校を卒業後、極東で軍の技官として勤務。54年に除隊後、ジャーナリストとなり、それから職業的作家の道を歩んだ。初期の仕事の一つに、シベリアの少数民族ウデゲの民話の収集がある(『ウデゲ民話集』1955)。『タイガの力』(1959)、『サーニャ』(1959)、『ポーリュシュカ・ポーレ』(1965)など、初期の彼の小説はおもに極東を舞台としたものだが、このころからすでにソ連社会のあり方に批判的な視点が感じられる。
創作と並行して、モジャーエフは時事評論やルポルタージュの分野でも旺盛(おうせい)に活動した。その分野の仕事は、『大地は待つ』(1961)、『大地と手』(1964)、『大地の実験』(1964)、『自主独立』(1972)といった著書にまとめられた。モジャーエフはこれらの著作で一貫して農業や農村生活の問題を取り上げ、農民の自主性を重要視し、農民が土地の「主人」であることを強調した。これは当時のソ連では非常に先駆的な主張だった。
1966年に発表された中編『フョードル・クシキンの生活から』(のちに『ジボイ』と改題)は、「ジボイ」(しぶとい奴(やつ))とあだ名される貧しい農民の集団農場脱退の顛末(てんまつ)を語った作品で、農民のしたたかな生命力と機知をたたえる一方で、ソ連の農業のあり方を痛烈に批判した。この作品は体制派からは攻撃されたが、モジャーエフは当時のソ連の「農村派」文学の旗手として広く知られることになった。モスクワのタガンカ劇場の演出家ユーリイ・リュビーモフはこの作品の戯曲化を試みたが、検閲を通らず、上演にこぎつけたのは20年後の1989年のことだった。
一方、『ピョートル・アファナシエビチ・ブルキンによって記された、ブリョーホボ村の歴史』(執筆1968)は、「ジボイ」とは対極的に、共産党に忠実な臆病者の視点から滑稽(こっけい)に語られた農村の年代記である。『百姓と百姓女たち』(第1部1976、第2部1987。1989年ソ連国家賞受賞)は、1920年代末の農業集団化の苛酷(かこく)な時代を描いた大作であり、晩年の代表作。ただし、モジャーエフはこのころから思想的に保守化し、農村の古きよき価値を美化する傾向が強まった。最後の長編『のけ者』(1993年に第1部を発表)は、1950年代末の極東を舞台とし、作者自身を思わせるジャーナリストを主人公とした作品だが、未完に終わった。
[沼野充義]