1990年に登録されたロシアの世界遺産(文化遺産)。同国の政治の中枢部となっている首都モスクワのクレムリンは、南のモスクワ川、北東の赤の広場、北西のアレクサンドロフスキー公園によって囲まれた三角形の約28万m2の敷地に、宮殿(パラーダ)、聖堂があり、20を越える門や塔を備えた高さ5~19mの城壁で囲まれている。クレムリンの起源は12世紀、ユーリー・ドルゴルーキー大公が木造城塞を築いたことによる。イワン3世は木造のクレムリンをレンガ造りの城壁で再建した。ウスペンスキー大聖堂(1479年建立)、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂(1489年建立)、アルハンゲリスキー聖堂(1509年建立)の三大聖堂と、イワン大帝の鐘楼(1508年建立)が造られ、その後も、1712年にピョートル1世(大帝)がサンクト・ペテルブルグに遷都するまで、クレムリンの増改築が行われてきた。大クレムリン宮殿は1848年に再建、武器庫は1851年に改築されたものである。クレムリンが現在とほぼ同じ姿になったのは、大クレムリン宮殿完成後である。クレムリンに隣接する赤の広場は、イワン大帝がクレムリンを大々的に改築するにあたって、市街地を広場として整理させたのが起源といわれている。以後、モスクワ大公国からロシア帝国(ロマノフ朝)、ソビエト連邦、そして今日のロシアまで、重要な国家行事を行う広場として使われている。ロシア革命を主導したレーニンの遺体が安置されたレーニン廟や聖ヴァシーリー聖堂は、この赤の広場にある。◇英名はKremlin and Red Square, Moscow