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ヤウレンスキー Jawlensky, Alexei von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヤウレンスキー
Jawlensky, Alexei von

[生]1864.3.13. トベライ近郊トルツーク
[没]1941.3.15. ウィースバーデン
ドイツで活躍したロシア生れの画家。 1888年ロシア帝室近衛兵の地位を捨てて I.レーピンに学ぶ。 96年ミュンヘンに移り,表現主義の画家カンディンスキーに出会って終生その影響を受ける。 1905年フランスに行き,マチスらと共同制作を行う。ミュンヘンに帰って新芸術家同盟に所属,脱退してのち「青騎士」に属する。 17年には神秘主義の傾向を示す。 24年「青の4人」のグループに加わる。主要作品『ランプのある静かな生活』 (1908) ,『夜の表情』 (23) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

ヤウレンスキー【Alexei von Jawlensky】

1864‐1941
ドイツで活躍したロシア出身の画家。1889年よりペテルブルグの美術アカデミーでレーピンに師事するが,アカデミックな教育にあきたらず,96年ミュンヘンに移住。1905年と08年にフランスを旅行し,ナビ派やマティスの作品に触発されて,フォルムの単純化と鮮明な色彩表現に向かう。ゼツェッシオン(分離派)の作家たちと親交を持ち,カンディンスキーらと09年〈ミュンヘン新芸術家協会〉,24年〈青の四人〉を結成。晩年の作品はいっそう抽象化がすすんだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヤウレンスキー
やうれんすきー
Алексей Георгиевич Явленский Aleksey Georgievich Yavlenskiy
(1864―1941)

ロシア出身の画家。モスクワの北方トルジョークに生まれ、レーピンに師事したのち、1896年にミュンヘンに出て、カンディンスキーと親交を結び、1909年には彼と協力して「新芸術家協会」を創設した。ゴッホやマチスの影響の下、肖像、風景、静物などを描いた。21年以降、ウィースバーデンに住み、24年には「青の四人」グループに参加。革命前に出国し、一度も旧ソ連で生活したことがないこともあり、ソ連ではほとんど黙殺されていた。[木村 浩]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のヤウレンスキーの言及

【ブラウエ・ライター】より

…翌年の第2回展には,ピカソ,ブラック,ドラン,マレービチ,ラリオーノフらをも招待した。しかし普通ブラウエ・ライターと呼ばれているのは,ベルリンの〈嵐(デア・シュトゥルムDer Sturm)〉画廊展など,その後のブラウエ・ライター展参加者をも併せ考え,カンディンスキーを中心にしたマルク,マッケAugust Macke(1887‐1914),クレーの4人,およびヤウレンスキーらをいう。彼らはそれぞれロシア正教の神秘主義,ドイツ・ロマン主義,ドローネーのオルフィスムOrphismeなどにつながりながら,造形の根源を追求し,目に見えぬ世界の視覚化を志した。…

※「ヤウレンスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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