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ユトレヒト Utrecht

翻訳|Utrecht

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ユトレヒト
Utrecht

オランダ中部,ユトレヒト州州都。アムステルダムの南東約 40kmに位置する。クロンメライン川の渡河地点に,48年に建設されたローマの要塞を起源とする古い都市で,11~12世紀に宗教と商業の町として最盛期を迎え,以後は織物の町として発達した。スペイン継承戦争のユトレヒト条約 (1713) 締結の地。 1795~1813年にはフランスの占領を受け,06~10年はオランダ王国の王,ナポレオン1世の弟ルイの居地であった。現在は宗教と文教の都市で,カトリックの大司教座がおかれ,市内には 10世紀以来の由緒ある聖堂群,オランダ最高 (113m) の塔を含む多くの遺跡があり,その一部は,オランダ最大のユトレヒト大学 (1636創立) の施設に利用されている。また中央博物館をはじめ,交通,時計,宗教美術,工芸,オルゴールなどさまざまな分野の博物館があることでも知られている。産業の中心は建設,鉄鋼,アルミニウム,化学,繊維,食品,印刷などの工業で,家畜,野菜,果物の大市場をもち,金融・保険業の中心でもあり,造幣局,国有鉄道本社の所在地でもある。 1916年以来のオランダ産業見本市の開催地としても有名。人口 23万 2705,大都市圏 53万 9471 (1992推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

ユトレヒト(Utrecht)

オランダ中部の商工業都市。ライン川の支流ベヒト川に面し、古くから水陸交通の要地。スペイン領時代はネーデルラントの中心として繁栄した。毎年国際産業見本市が開催される。

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百科事典マイペディアの解説

ユトレヒト

オランダ中部の同名州の州都。ライン川デルタに位置する商業・鉄道の中心地で,金属・機械・食品工業などが行われる。大学(1636年創立),司教座大聖堂(13―16世紀)がある。
→関連項目ヘーシンク

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世界大百科事典 第2版の解説

ユトレヒト【Utrecht】

オランダ中部の同名州の州都。人口23万7000(1980)。オランダの代表的な古都であるが,現在は商工業都市として発展している。産業では金融・保険,卸売業,家畜・青果市場を中心としたサービス業が大きな比重を占めており,次いで金属工業をはじめ建築,印刷,化学,食品加工の諸工業が重要となっている。また国の出先機関も多く,オランダ鉄道本社や王立博覧会事務局がある。ユトレヒト大学(1636創立)をはじめ高等教育機関や各種専門学校も多い。

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大辞林 第三版の解説

ユトレヒト【Utrecht】

オランダ中部の都市。鉄道交通の要地。保険業が盛ん。一三世紀建立のカトリックの大教会がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ユトレヒト
ゆとれひと
Utrecht

オランダ中部、ユトレヒト州の州都で、商工業都市。人口25万6420(2001)。ライン川支流のベヒトVecht川に沿い、国内商業の拠点であると同時に、交通・文化の中心地でもある。伝統的な繊維、陶器、たばこのほか、金属、機械、化学、印刷などの工業が発達するが、主産業はむしろ商業、サービス業にあり、古くからの青果市、牛市をはじめ、春と秋には国際産業見本市が開催される。またアムステルダム・ライン運河や鉄道、高速道路が集中する交通の結節点でもあり、国鉄本社の所在地となっている。旧市街は深い堀によって囲まれ、中心部には高さ112メートルのゴシック様式の尖塔(せんとう)を有するドム教会をはじめ、鉄道博物館など多数の博物館、専門学校があり、郊外にあるユトレヒト州立大学(1636創立)を含めて、学術文化都市としての性格も有する。第二次世界大戦後に人口が急増したため、郊外に市域が拡大し、またホーヘカテリナ計画とよばれる中央駅を中心とした旧市内の再開発事業が推進された。
 ユトレヒト州はアイセル湖の南に位置し、総面積1434平方キロメートル、陸地面積1359平方キロメートルと最小の州で、人口111万7997(2001)。州域の大部分がライン川デルタの上にあるが、スカンジナビア氷床の南限が北西―南東方向に州を横断しているため、東部は砂礫(されき)質の不毛地、西部は粘土質の肥沃(ひよく)地となり、後者を中心に酪農と麦類・野菜の栽培が行われる。722年に聖ウィリブロルドが設立した司教区が州の起源である。[長谷川孝治]

歴史

名称は「下流の徒渉場」の意味で、ローマ時代にはトライェクトゥムTrajectum、ウルトライェクトゥムUltrajectumとよばれ、ローマ帝国北辺境を守る堡塁(ほうるい)であった。フランク王は、一時この地を征服したフリース(フリジア)人に対する宣教のため、695年ウィリブロルドを司教に任じ、のち司教区を設けて彼をその初代司教とした。以来異教徒の侵入を阻む都市として発展したが、9世紀以後は北ネーデルラントの商業の中心地となり、また織物業が発達し、11、12世紀にはこの都市の繁栄は最盛期を迎えた。13世紀末、政治的紛争と他都市の勃興(ぼっこう)により交易は衰えたが、織物業はなお存続した。1304年同職ギルドの権利が認められたが、これが自治権の強化を喜ばない司教との不和をよび、市民は弾圧された。1528年、司教は神聖ローマ皇帝カール5世に司教領を売却した。フェリペ2世(在位1556~98)の時代には、オラニエ公ウィレムを支援し、オランダ独立運動において重要な役割を果たし、1579年ユトレヒト同盟結成の舞台となった。その国際的都市としての性格は、1713年のユトレヒト条約にもみられる。[米田潔弘]

世界遺産の登録

オランダ人建築家ヘリット・リートフェルトが1924年に設計・建築したシュローダー邸はユトレヒト市内にあり、2000年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「リートフェルト設計のシュローダー邸」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

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世界大百科事典内のユトレヒトの言及

【オランダ美術】より

フランドル美術ベルギー[美術]
[16世紀以前]
 地理的・経済的な条件から必然的にオランダ(北部ネーデルラント)の中世美術は,隣接するドイツのラインラント地方と南部ネーデルラントのムーズ,スヘルデ両川流域からの強い影響を受け続け,その結果,移入された新様式は南東部から北西部へと伝播するのが通例であった。プレ・ロマネスクおよびロマネスク期に先導的な役割を果たしたのは,共にローマ時代にさかのぼる歴史を有する司教座所在地のユトレヒトとマーストリヒトである。ユトレヒトの聖ピーテル教会(11世紀)と聖母教会(12世紀。…

※「ユトレヒト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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