ヨハネス12世(読み)ヨハネスじゅうにせい(その他表記)Johannes XII

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス12世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス12世
ヨハネスじゅうにせい
Johannes XII

[生]937?. ローマ
[没]964.5.14.
ローマ出身の第130代教皇在位 955~964)。本名はオクタビアヌス Octavianusで,登位の際に改名した史上 2人目の教皇。当時ローマを支配していたスポレト公アルベリック2世の一人息子で,父の権力により 18歳で教皇に選出された。962年2月,東フランク王国の国王オットー1世(在位 936~973)とその妻アーデルハイトを,神聖ローマ帝国皇帝皇后として戴冠させた。だが,皇帝が発布した「オットー大帝特権状」で皇帝への臣従の誓いを要求され,それに抵抗すると 963年12月,皇帝に対する武装蜂起扇動と不道徳の罪により廃位された。オットー1世は代わりにレオ8世(在位 963~965)を教皇の座につけたが,964年2月にオットー1世がローマを離れると,ヨハネス12世は教会会議を開いてレオ8世を廃位させた。そののちまもなく,愛人の腕に抱かれて死んだと伝えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヨハネス12世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス[12世]
Johannes ⅩⅡ
生没年:937-964

ローマ教皇。在位955-964年。スポレト公アルベリヒ2世の子。父の尽力で955年18歳で教皇に就任したが,経験不足からローマ内外の巧妙な政治家たちに操られ,教皇の権威は衰えた。962年オットー1世に皇帝戴冠を行い,返礼として〈オットーの特許状〉を得たが,翌年反オットー政策を推進したことが発覚して解任された。オットーがローマを去るや教会会議を召集して教皇に復位したが,その3ヵ月後急死した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヨハネス12世」の解説

ヨハネス12世(ヨハネスじゅうにせい)
Johannes ⅩⅡ

936?~964(在位955~964)

ローマ教皇。名門トスカーナ公家の出身。年少(18歳)で教皇となったため権威は低く,教会の「鉄世紀」(暗黒時代)を招いた。ドイツ王オットー1世を神聖ローマ皇帝として戴冠させた。

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