フランスの美学者。ペリグーに生まれる。音楽美学や実験美学の研究によって博士号を取得したのち、ソルボンヌ大学(パリ大学)の美学講座をバッシュから受け継いだ。スリオ、バイエとともに『美学雑誌』Revue d'Esthétiqueを創刊し、フランス美学会最初の会長となった。思想的には当初、社会的環境が芸術に及ぼす影響を重視し、実証主義的な立場から芸術の社会学を展開した。しかし後年にこの社会学的観点を改め、芸術家の心理的・美的類型types psycho-esthétiquesの研究に転じ、芸術を生の表現、生からの逃避、生の代理ととらえる三類型をたてたうえで、これを個々の芸術家に適用した。
[村山康男 2015年6月17日]
『シャルル・ラロ著、田部節訳『芸術と社会生活』(1936・改造社)』
フランスの作曲家。スペイン系。生地リールの音楽院でバイオリンとチェロを学んだのち、パリ音楽院に学ぶ。最初はおもに室内楽を発表するが成功せず、1855年以後弦楽四重奏団員としてバイオリンあるいはビオラを演奏。72年に作曲した管弦楽のためのディベルティメントでようやく作曲家として認められ、スペインのバイオリン奏者サラサーテの依頼で作曲したバイオリン協奏曲ヘ長調(1874)、バイオリンと管弦楽のための『スペイン交響曲』(1875)によって名声を確立した。このほか『ノルウェー狂詩曲』(1879)、チェロ協奏曲ニ短調(1876)など弦楽器独奏と管弦楽による協奏的作品で、華麗な技巧と豊かな表情、色彩感とを融合するのに成功した。82年パリ・オペラ座でバレエ『ナムーナ』を初演、88年にはオペラ・コミック座で『イスの王』を初演、とくに後者は高い評価を与えられたが、その他の舞台音楽は成功には至らなかった。パリに没。
作曲家としては、とくにオーケストラから色彩豊かな響きを引き出す点でベルリオーズを継承、一方ロマン性にあふれた表情の点でシューマンの影響を受けた。またスペインの舞曲のリズムを巧みに、生き生きと自分の作品のなかで用いるなど、生気にあふれた表現を目ざした。彼の息子ピエール・ラロ(1866―1943)は、有名な音楽批評家になった。
[美山良夫]
フランスの作曲家。リール音楽院およびパリ音楽院で学ぶ。作曲を試みるが注目されず,一時作曲を断念し,1855年創立のアルマンゴー四重奏団のビオラ奏者(のち第2バイオリン奏者)となる。ウィーン古典派の室内楽の紹介に努め,1850年代のフランスにおける室内楽の目ざめに大きく貢献した。65年ころから作曲を再開し,サラサーテの独奏で初演された《バイオリン協奏曲ヘ長調》(1874)および《スペイン交響曲》(バイオリン協奏曲。1875)により初めて大成功をおさめ,念願の劇音楽では《イスの王》が喝采を博し(1888初演),ようやく作曲家としての名声を獲得した。その作風はフランクの一派や印象派とは異質で,ボロジンやスメタナに近い力強い個性を発揮している。
執筆者:片山 千佳子
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…弓で演奏する擦弦楽器の一種。16世紀の初めに北イタリアで生まれ,その衰退が始まる20世紀に至るまでの約300年の間,ヨーロッパの器楽の歴史のなかで,独奏・合奏楽器として重要な役割を果たした。バイオリンはビオラ,チェロ,コントラバスとともにバイオリン族と呼ばれる擦弦楽器の一族を形成し,そのなかの最高音域を受け持っている。コントラバスはもとはビオル族に由来する楽器であるが,通常バイオリン族に数えられる。…
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【芸術音楽】
十数世紀にわたる音楽の流れを若干の特質に要約するのは,時代による差異を忘れるおそれがあり危険な仕事だが,一応のめやすを置くにとどめるという限定の上でこれを試みることにする。フランス音楽の精神は,ドイツ・オーストリア音楽を中心とする北方的なそれのように,重く情緒的あるいは抽象的・思弁的でもなく,またイタリア音楽に代表される南方的なそれのように,感性的・感情的なものの流露をとりわけ優先させもしない。…
※「ラロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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