百科事典マイペディア 「リファール」の意味・わかりやすい解説
リファール
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フランスで活躍したロシア人舞踊家,振付師。キエフに生まれ,ロシア革命直後に同地でニジンスカにバレエを学ぶ。1923年〈バレエ・リュッス〉に入団し,チェケッティの個人教授を受け,主役舞踊手となり,29年のディアギレフの死まで同団の花形として活躍。同年からパリ・オペラ座の舞踊手兼監督をつとめるが,第2次大戦中の対独協力の疑いで一時追及を受けた。47年,パリ・オペラ座に復帰し58年の引退まで芸術監督として活躍した。容姿に恵まれ,卓抜した技術をもち古典にも新作にも優れた演技を示した。舞踊における屈曲線の開発を試みた《バッコスとアリアドネBacchus et Ariane》(1931),振付を音楽の束縛から解き放つためリズムのみで踊る《イカロスIcare》(1935)など実験的作品を発表した。ほかに《白の組曲》(1943),《ミラージュ》(1944),《フェードル》(1950)など。《振付師の宣言》(1935),《ロシア・バレエの歴史》(1945)など30冊近い著作がある。52年に来日。
執筆者:薄井 憲二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
フランスで活躍したロシア人舞踊家、振付者。キエフ(現、キーウ)に生まれる。ニジンスカに師事し、1923年ディアギレフのロシア・バレエ団の後期に入団、『放蕩息子(ほうとうむすこ)』の主役などを踊った。1929年にパリ・オペラ座バレエ団の芸術監督に就任、モダン・バレエのレパートリーを増やし、『プロメテの創造物』『イカール』『白の組曲』などを振付け上演した。第二次世界大戦前後一時新モンテカルロ・バレエ団の芸術監督を務めたが、1958年までパリ・オペラ座バレエ団の再建に尽くした。著作に『振付師宣言』(1935)、『ディアギレフ』(1939)、『ベストリス』(1950)などがある。
[市川 雅]
…《コッペリア》(1870)の成功もその落を救えなかった。20世紀に入りディアギレフのバレエ・リュッスがヨーロッパを席巻するが,このころオペラ座の支配人となったジャック・ルーシエは,1929年S.リファールをメートル・ド・バレエに任命し,オペラ座の改革にあたらせた。リファールは58年までその任にあたり,フランス・バレエに再び生気を与え,水準を引き上げ,今日の基盤を築きあげた。…
…このことはバレエ・リュッスを経験していないロシアのバレエが近年まで前近代性から脱却しえなかったことが物語っている。さらにまた,沈滞していたフランス・バレエを救ったS.リファール,バレエの存在しなかったイギリスに一流のバレエ団をつくり上げたド・バロア,アメリカ・バレエを育てたバランチンがバレエ・リュッスから出発していることからも明らかであろう。【薄井 憲二】。…
※「リファール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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