ラージー(その他表記)al-Rāzī

改訂新版 世界大百科事典 「ラージー」の意味・わかりやすい解説

ラージー
al-Rāzī
生没年:864ころ-925か932

中世イラン屈指の哲学者,医学者。テヘラン南の古都レイ(ライ)に生まれ,同地やバグダードで病院長を務めた。哲学者としては徹底した理性重視と平等主義をとり,イスラム思想界では異端児の趣がある。彼の説く永遠の原理とは,造物主,普遍霊魂,第一質料,空間,時間の五つであり,無からの創造が否定され,預言者などは〈悪霊にとりつかれたただの人〉と断じ去られた。このような預言者攻撃や秘教的解釈(ターウィール)を排した理性主義の立場は,当時のイスマーイール派の面々から激しい論争を挑まれた。医学の分野では特に《包含の書》が,そのメモランダム的スタイルにより臨床医学の古典として貴重である。イラン,イスラム医学史上初めて天然痘記述したのも彼で,その《天然痘と麻疹の書》には5世紀も以前の中国の葛洪による《肘後備急方》の影響があるともいわれる。理性重視の立場から彼はジャービル・ブン・ハイヤーンの秘教的錬金術とは異なる化学的錬金術を追求したが,その成果は《秘密の書》にまとめられた。これらの著作はラテン語訳を通じてヨーロッパに伝えられ,彼の名もラゼスRazesというラテン名によりつとに名高かった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラージー」の意味・わかりやすい解説

ラージー
らーじー
Abū Bakr Muhammad ibn Zakariyyā al Rhāzi
(854ころ―925/935)

9世紀後半から10世紀前半のイスラムの医学者、錬金術師。ラテン名はラーゼスRazes。テヘラン近くのライで生まれ、ライとバグダードで臨床医として活躍した。医学理論ではガレノスを信奉し、その知識をヒポクラテスの医学知識と結び付けた。化学を医学に応用し、医療化学の祖となった。著作は多いが、重要なのは『関連の書』Kitāb al-hāwīで、ギリシア、インドの医学と彼自身の知見を含む医学百科事典である。主としてギリシア科学についてまとめた『アル・マンスールの書』Kitāb al-Mansūrīや、天然痘とはしかを論じた論文などもある。このほか、比重についての研究、化学器具の一覧表の作成、化学的物質の分類なども手がけた。

平田 寛]

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百科事典マイペディア 「ラージー」の意味・わかりやすい解説

ラージー

中世イランの医学者,錬金術者。ラテン訳名ラゼス。ギリシア,シリアアラビアの医学知識を集成し大著《包含の書》を書き,天然痘はしかについて詳しく記述。その錬金術書は経験と実験に基づき多くの物質,装置,操作を記述,物質を動・植・鉱の3質に分け,硫黄と塩と水銀固体の基本成分であることを示唆した。
→関連項目トルココーヒー錬金術

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラージー」の意味・わかりやすい解説

ラージー
al-Rāzī

[生]865頃.ライイ
[没]923/932. ライイ
ペルシア生まれのアラビア医学者,哲学者,錬金術師。アラビア名 Abū-Bakr Muhạmmad ibn Zakariyā al-Rāzī。ラテン名ラーゼス Rhazes。言語学,数学,哲学,音楽を学び,30歳で医学を志した。バグダード病院院長となり宮廷医を兼ねた。医学の学説,臨床ともガレノスに従い,「食事でなおせれば薬を用いるな。単純薬で有効なら複合薬は用いるな」と説いている。主著『医学総覧』 al-Ḥāwīには,ギリシア,シリア,アラビア,インドの医学知識が網羅されており,ラージー自身の臨床経験も述べられている。『天然痘とはしかに関する考察』 Kitāb fi-l-judarī wa al-ḥaṣbahでは,この二つの病気をはっきり区別している。

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367日誕生日大事典 「ラージー」の解説

ラージー

生年月日:865年8月28日
イスラムの医学者,哲学者,錬金術師
925年没

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世界大百科事典(旧版)内のラージーの言及

【アラビア医学】より

…病理学についての大著ほか,いくつかの論文,および132項の医者に対する格言を残した。ラージー(ラテン名はラーゼス)はイランのレイで生まれ,同地およびバグダードの病院長となり,一代の名医とたたえられた。サーマーン朝のマンスールにささげた《マンスールの書Kitāb al‐Manṣūrī》はアラビア語医書の古典として,そのラテン語訳はヨーロッパにも広がった。…

【アラビア科学】より

…ペルシアやシリアやインドから優れた学者がこのアッバース朝の首都に雲集し,多くの第一級の科学文献がギリシア語やシリア語からアラビア訳され,アラビア科学は華やかに咲きいでた。ギリシア科学の精華の大部分を翻訳したフナイン・ブン・イスハークサービト・ブン・クッラをはじめ,アラビア錬金術の祖であるジャービル・ブン・ハイヤーンやアラビア代数学の出発点をつくったフワーリズミー,正確な観測によりルネサンスにいたるまで西欧天文学にも大きな影響をもったバッターニー,さらにはイスラム圏のみならず,中世全体を通じて最大の臨床医家だったラージーなどが,この期に属する代表的な学者である。 第2の〈全イスラム期〉では,かつてアッバース家によって滅ぼされたウマイヤ朝の王族がスペインに逃れて建てた後ウマイヤ朝においてしだいに文化が興隆し,その勢いは東イスラム圏と覇を競うほどになり,さらにエジプトではファーティマ朝が栄え,ここでも大いに科学文化が振興された。…

【コーヒー】より

…安いコーヒー用にされ,またアラビアコーヒーノキとの混合用にされる。【星川 清親】
[飲用の歴史]
 10世紀前後に,イスラム世界の著名な医学者ラージー(854ころ‐925)が〈古来エチオピアに原生していたブンの種実を砕いて煮出した汁液ブンカムは一種の薬として胃によい〉と記したのが,コーヒーについての世界最初の文献である。ブンbunnは,コーヒーノキとその種実の原始名で,ブンカムはその生豆を乾燥し,いらずに砕いて煮出した麦わら色の液体であった。…

【錬金術】より

…金属が4元素からできていることは他とかわらないが,すべての金属には霊妙な増殖作用があるとし,男女の性質(硫黄は男性,水銀は女性)がその理論に加わったことも考えられる。一方,水銀や硫黄のすぐれた医薬効果を知っていたラージー(ラテン名ラゼス)は,化学者でもあり,その《秘密の書》の中で古来のものを改良した蒸留器や炉などを用い,煆焼,昇華,燃焼,溶融などの化学的操作をとおし,強酸,礬類または塩,さらに〈精〉などを作ろうとした。なかでも〈精〉,つまりすべてをつらぬき不完全なものを完全化する霊妙な物質の探究は,〈エリクシルelixir(錬金薬)〉(アラビア語al‐iksīrに由来し,英語読みではエリキサー)作り,すなわち金属の粗悪さを治すとともに,人間の病気をも治す特異な薬剤の探究に向かった。…

※「ラージー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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