ギリシア科学(読み)ぎりしあかがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギリシア科学」の意味・わかりやすい解説

ギリシア科学
ぎりしあかがく

古代ギリシアの科学は一般的には、観察、実験、計算をややもすれば軽視する風潮があった。しかし自然について客観的で抽象化した見方、論理的な考え方と、普遍的な法則をたてようとする意欲をもっていた点で、科学精神の本質に迫っていたように思われるし、明らかに近代科学の萌芽(ほうが)を内包していた。

 そうしたギリシア精神を生み出した要因としては次のような点が考えられる。まずギリシアの地理的環境である。オリエントの先進諸地域に近く、しかも本土の生産力の低さから、早くから海外への植民運動が盛んであり、そこから進取で自由な精神が生まれた。また、貨幣制度が確立して通商が栄えたこと、文字が普及して知識が広まったこと、奴隷制社会の下で新しく勃興(ぼっこう)してきた商工業階級の市民たちが、その余暇を自由な思考に費やしたこと、などもあげられる。

[平田 寛]

ギリシア科学の誕生

ギリシア科学は紀元前6世紀、とくに因襲のない、思想の自由の気風のみなぎったギリシアの植民都市で、思弁的な色彩の濃い「自然学」として生まれた。自然学者たちは、自然の秩序、すなわちその統一性と合理性とを追究して、宇宙の構成要素は何か、万物の根源は何かという問題に取り組んだ。そしてそれがオリエントの神話にいう神々でないと考え、優れた直観と、大胆で清新な思弁によって結論を導き出した。万物の根源について、タレスは「水」、アナクシマンドロスは「無限なるもの」、アナクシメネスは「空気」、ヘラクレイトスは「火」、ピタゴラスは「数」、エンペドクレスは「火・空気・水・土」、アナクサゴラスは「種子(スペルマタ)」、デモクリトスは「原子(アトマ)」であると考えた。そして彼らはそれぞれの理論を展開し、宇宙の構造を彼らなりに合理的に解明しようとした。

 こうしたさまざまな主張のなかで、デモクリトスの原子説(現代の原子説とは異なる)は後の化学に大きな影響を与えた。彼は、万物は無数の原子と、原子が運動する空虚(真空)からなるとし、原子とは大きさと形が違うだけの小さな分割できない粒子で、それが真空中を運動しながら、類似した原子どうしが結合して宇宙を形成する、とした。

 ギリシア科学のなかで、数学はもっともギリシア的な特色をもつものとして形成されていくが、ピタゴラスを頂点とするピタゴラス学派密儀宗教と非実用的な数の理論、幾何学を研究した。そして数論では神秘的な数解釈を行い、幾何学では「ピタゴラスの定理」を発見した。また宇宙論では、大地の球形説や、さらに中心火の周りを地球・惑星・太陽・月などが回転するという、一種の変則的な地動説を唱えた。

 以上のような思弁的、抽象的な自然学のなかで、ヒポクラテスは、それまでの神殿医学の祈祷(きとう)や迷信による治療を排し、具体的で実践的な医学治療を目ざした。彼は、すべての病気は自然的な原因(熱、寒、風、太陽など)によるもので、神や悪魔のしわざだという説を否定した。また、哲学者たちが哲学を医学に適用し、病気を一般論で論じることに反対し、病気の治療は空理空論では役にたたず、患者個々人の病状の差違を調べて対処する医療術の必要を主張した。

 前5世紀中ごろから前4世紀にかけて、ソフィストとよばれる学者たちが現れた。この背景には、タレスからデモクリトスまでの自然学者たちが、宇宙について各自さまざまな結論を出したことへの不信や、ペロポネソス戦争(前431~前404)によるギリシア社会の激しい動揺などが考えられる。ソフィストたちは町々を巡り歩き、多額の報酬を得て雄弁術、修辞学、訴訟問題など、いわば処世術を教えた。また彼らや一部の数学者は、当時、問題になった数学の三大問題(与えられた円と同面積の正方形の作図、任意の角の3等分、与えられた正立方体の2倍の体積の立方体の作図)を、コンパス(円)と定規(直線)だけで解くこと(実は不可能)に熱中していた。しかしやがてソフィストの運動も堕落し、詭弁(きべん)の徒と成り下がって、いつとはなく消滅した。

[平田 寛]

アテネの時代

前5世紀から前4世紀、とくにサラミス海戦(前480)においてペルシアとの戦いに勝利して以後、アテネの民主政は徹底し、経済的繁栄は頂点に達し、文化は発展し、ギリシアの学芸の中心になった。アテネ出身の哲学者プラトンは、アテネ郊外に学園アカデメイアを設け、そこからは多くの哲学者を輩出した。プラトンの科学への貢献は、数学概念についての厳格な規定である。彼は数学を「精神を高める力をもつもの」として、哲学研究の重要な予備学科とみなし、アカデメイアの門には「幾何学を知らざる者は入るべからず」のことばが掲げられた。そして数学に極度の論理性と厳密性とを要求して、数学を感覚世界から完全に切り離した。大きさのない点、幅のない厚さ、厚さのない面といった定義も彼のイデア論からは当然であった。幾何学を研究する手段としてコンパスと定規だけに限定することを強調したのも、それ以外の手段は感覚的だからであった。彼はまた、宇宙観も天動説を基にして、幾何学的に円運動(軌道)と球(天体)とで扱ったが、惑星の不規則運動はどうしても説明しきれなかった。これの説明をしたのは彼の門人のクニドス出身のエウドクソスで、彼は同心天球説を唱え、地球を中心にした27個の天球の回転運動の結合によって、惑星・月・太陽の不規則運動を解明しようとした。

 プラトンの門人アリストテレスの科学的業績は、天文学や物理学ではプラトン的な思弁的色彩が強かったが、生物学では独自な貢献をした。彼はこの分野では、経験的、帰納的方法を発揮して、約540種の動物を形態によって分類し、また、広く生物一般の相互関係について、無生物から植物、動物、人間へと切れ目なく連続的に完全度を増していくという「自然の階段」説を唱えた。ギリシア科学の歴史をみるとき、アリストテレスは転換期を画した巨人であった。それは、彼が全体としての世界体系を表式化した最後の人であり、他方、幅広い経験的探究に関係した最初の人であったからである。

[平田 寛]

ヘレニズムの時代

マケドニアアレクサンドロス大王(在位前336~前323)によるペルシア征服などにより、ギリシア世界はオリエント地域を含めて大きく拡大した。大王の死後、その領土はマケドニア、エジプト、シリアの3王国に分かれた。なかで、エジプトを治めたプトレマイオス王朝は経済的にも文化的にももっとも栄えた。ヘレニズム時代(前4世紀後半~前1世紀後半)の到来である。その首都アレクサンドリアには、ムセイオンとよばれる大規模な学術研究所が設立され、そこには大図書館をはじめ、動・植物園や天文観測所、不老長寿の薬を研究する一種の化学研究施設や解剖室が設置され、各地から国費で学生、研究者が集められ、主として文学、数学、天文学、医学の研究に従事した。

 とくに科学分野の研究では、狭いギリシア社会と違って広大に開かれた世界となったこともあって、一方では、従来のギリシア科学の成果を改良しながら再形成する仕事がなされたが、他方では、理論と実際とが一致するような新しい科学を求める風潮も強まってきた。

 そうした科学者たちとその研究業績は次のようである。ユークリッド(エウクレイデス)は先人の数多くの数学的業績を『ストイケイア』Stoicheiaにまとめた。この著は初等幾何学の入門書としては匹敵するものがないほどの名著であり、その周到な体系化と精確な論理性とは19世紀までその権威を維持した。ペルゲのアポロニオスは、メナイクモスらの始めた円錐(えんすい)曲線論をさらに一般化し、近代的ともいえる円錐曲線論を展開した。また天動説での惑星の不規則運動を説明する方法として周転円と離心円とを唱えた。アルキメデスは理論と実際との一致を深く意識して、数学の未開の分野を、ギリシア人が軽視した計算と実験を駆使して開拓、「アルキメデスの原理」の発見をはじめ、多くの科学史に残る業績をあげた。エラトステネスはそれまでの空想的な世界地図を捨て、経緯度線を引いた実際的な世界地図を作製したほか、地球の全周(大円)を日時計を使って測定し、4万5000キロメートル(実際は4万キロメートル)と算出した。アリスタルコスは、コペルニクスよりも1800年も以前に、太陽を中心とした地動説を提起したが、当時は顧みられなかった。ヒッパルコスは天動説を固持しながらも天文観測に打ち込み、歳差現象など重要な天体現象を発見した。この時期、医学では、ヒポクラテスに欠けていた解剖学的、生理学的発見が数多くなされた。ヘロフィロスはいっさいの独断を排して、観察と経験に頼ることを主張し、神経の正体をみつけ、脈拍論を確立した。エラシストラトスは医療には簡単な薬品を勧め、摂生療法を重視した。また解剖学にも優れ、知覚神経と運動神経を区別した。

[平田 寛]

ギリシア科学の意義

ギリシア科学は、イオニアでの思弁的科学に始まり、ヘレニズムの時代に実証的科学への手掛りをつかむところまで行き着いた。前2世紀、ローマの勢力が東方に及ぶなかでその活発な活動を停止していくが、その遺産は大きく、たとえば天文学のプトレマイオスはヒッパルコスの業績を受け継ぎ、著書『アルマゲスト』Almagestに集大成し、天動説を継承発展させた。また医学のガレノスはギリシア医学を総仕上げした。2人の学説をはじめギリシアの諸業績は、イスラムに全面的に伝わり、さらに中世ヨーロッパに深い影響を与え、やがて17世紀の近代科学が成立するための大きな原動力となった。

[平田 寛]

『J・J・ハイベルク著、平田寛訳『古代科学』(1953・創元社)』『B・ファリントン著、出隆訳『ギリシア人の科学』(1955・岩波書店)』『平田寛著『科学の起原』(1974・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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