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リプケン Ripken, Cal, Jr.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リプケン
Ripken, Cal, Jr.

[生]1960.8.24. メリーランド,ハバードグラス
アメリカ合衆国のプロ野球選手。フルネーム Calvin Edwin Ripken, Jr.。内野手。2632試合連続出場の大リーグ記録を打ち立てた,プロスポーツ史上最も息の長い選手の一人。ボルティモア・オリオールズのマイナーチームで数年間プレーしたのち,1982年大リーグに昇格。その年のアメリカンリーグ新人王に輝いた。翌 1983年にはチームのワールドシリーズ制覇に貢献し,リーグ最優秀選手 MVPに選出。1991年にもリーグ MVPに選ばれた。父親のカル・リプケン・シニアはオリオールズで 15年間コーチを務め,短期間ながら監督も務めている。1995年,連続試合出場数を 2131に伸ばし,ルー・ゲーリッグがつくった大リーグ記録を 56年ぶりに塗り替えた。現代の球界でゲーリッグの記録を破るのは不可能であるという専門家の見解を覆し,さらに 2632試合まで記録を更新。1998年のシーズン最終戦でみずから出場を辞退して記録は途絶えたが,ほぼ 18年ぶりの欠場だった。2001年のシーズンを最後に引退。2007年野球殿堂入りを果たした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

リプケン
りぷけん
Calvin Edwin Ripken Jr.
(1960― )

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のボルティモア・オリオールズで遊撃手、三塁手としてプレー。大柄な体格と強打でそれまでの遊撃手のイメージを塗り替え、2632試合連続出場の偉業を達成した「鉄人」である。
 8月24日、メリーランド州ヘブレ・デ・グレイスで生まれる。アバディーン高から1978年、ドラフト2巡目指名を受けてオリオールズに入団。1981年には大リーグ昇格を果たした。それまで遊撃手といえば俊足の小兵という固定観念があり、1982年は三塁手と兼任だったが、83年からは遊撃手一本となった。ちなみに1982年は、5月30日から連続試合出場記録がスタートしており、新人王にも選ばれた。また、1983年は打率3割1分8厘、ホームラン27本、打点102の好成績でチームのワールド・シリーズ制覇に貢献し、最優秀選手(MVP)に選ばれた。父カル・リプケン・シニアCalvin Edwin Ripken Sr.(1935―99)は1985年に1試合だけ監督を務めてすでに一緒にプレーしていたが、弟ビリー・リプケンWilliam Oliver Ripken(1964― )が昇格した1987年は、父が監督に再就任したため、一家3人が同一チームにそろった。父は1988年の開幕早々に解任されたが、弟とは92年までと96年に二遊間コンビを組んだ。1991年には、打率3割2分3厘、ホームラン34本、114打点の好成績で無冠ながら2回目のMVPを受賞。1997年からは、守備への負担を考慮して三塁手へ転向となった。1998年9月19日の出場を最後に、自ら出場を拒否して連続試合出場には終止符が打たれた。2001年限りで現役を引退したが、その年のオールスター・ゲームではロサンゼルス・ドジャースの朴贊浩(ぼくさんこう/パクチャンホ)からホームランを打ってMVPとなり、最後の花道を飾った。
 21年間の通算成績は、出場試合3001、安打3184、打率2割7分6厘、本塁打431、打点1695。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多安打1回、MVP2回、ゴールドグラブ賞2回。2007年に野球殿堂入り。[山下 健]
『カル・リプケン・Jr.、マイク・ブライアン著、鈴沢一訳『カル・リプケン・Jr. 我が道を信じて』(1998・TOKYO FM出版) ▽ハービー・ローゼンフェルド著、武田薫訳『カル・リプケン物語 新たなる鉄人』(1997・ベースボール・マガジン社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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