翻訳|Lima
南アメリカ大陸西部,太平洋岸にあるペルーの首都で,同国最大の商工業都市。人口707万5339(2003)。アンデス山脈に源をもち,西流して太平洋に注ぐリマク川の河口近くにある。南緯12°という低緯度にありながら,沿岸を北流する寒流,ペルー海流(フンボルト海流)の影響をうけて気温は低く,最寒月の8月の平均気温は15℃,最暖月の2月でも22.5℃である。一年中降雨をみることはまれで,年間降水量は30mmにすぎない。晴天日数は少なく,曇天の日が多い。
インカ帝国を滅ぼしたF.ピサロは,植民地支配のため1535年にリマを建設した。以後南アメリカ諸国の独立にいたるまで,リマはスペインの南アメリカ植民地支配の中心地となった。ペルー副王領がおかれ,南アメリカ第1の都市として繁栄した。政庁のあるアルマス広場を中心とする旧市街は,スペイン風の建築物や植民地時代からの古い教会が多く,ヒロン・デ・ラ・ウニオンなどの通りを中心とする繁華街は,狭い格子状の道路が広がっている。これに対して,サン・マルティン広場を中心とする新市街は,広い道路に近代的ビルが多く,さらに南部には高級住宅地が,また西部には商工業地が発展している。第2次世界大戦後には,ペルー各地から多数の人口が流入して,市街は急速に拡大した。1940年に35万であった人口は,55年間に17倍にも増加している。郊外には新興の住宅地が拡大し,さらに貧民街がこれをとりまくように形成されている。太平洋岸にあるリマの外港カヤオとは,住宅地の拡大によって,市街地は連続するようになった。1551年に設立された南アメリカ大陸で最も古いサン・マルコス大学も,リマの市街からカヤオ市へ移転していった。
リマ市は,ペルーの中枢管理機関が集中して,政治・行政の中心となっているほか,織物,食品,皮革,ゴム,製粉などの工業が発達し,ペルーの工業生産の60%を占めるとともに,全国の商業の80%が集中している。リマはまた,ペルーの交通の中心地でもある。北はエクアドル国境近くのトゥンベスまで,南はチリ国境のタクナまで,太平洋岸を通るパン・アメリカン・ハイウェーが通じている。またアンデス高地には,道路がオクシデンタル山脈を越えてラ・オロヤに達し,さらに北はアマゾン川上流のウカヤリ川の河港プカルパに,南はチチカカ湖畔のプーノに達する。鉄道はラ・オロヤを経て,北はセロ・デ・パスコへ,南はワンカベリカに達している。リマは観光資源にも恵まれ,市内には由緒ある教会やスペイン風の建築物が多く見られるほか,博物館,美術館や美しい公園がある。なかでも人類・考古博物館は,インカ時代をはじめ,チムー文化,ナスカ文化など,プレ・インカ時代の遺物を集めていることで名高い。
執筆者:田嶋 久
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南アメリカ中西部、ペルーの首都。同国の太平洋岸中部、サン・クリスバル台地の山麓(さんろく)に位置する。人口646万4693(1998)、1035万0721(2018推計)。同国の政治、経済、文化、教育の中心地である。オアシス地帯の綿花などの農産物の集荷地で、食料品、製鉄、精銅、製陶、家具などの工場が集中している。また交通の中心地でもあり、パン・アメリカン・ハイウェーが通じ、市を起点として道路や鉄道がアンデス山脈を越え、アマゾン低地に延びている。赤道近くの都市であるが、ペルー海流の関係で気温はそれほど高くならず、月平均気温は2月が最高で22.2℃、8月が最低で15.9℃である。一年中降雨がほとんどなく、年降水量は31ミリメートルにすぎない。また、夕方近くになると海霧が流れ込んできて、朝まで立ちこめることが多い。
1535年、スペイン人ピサロにより、植民地支配のため「諸王の都」として建設され、以来南アメリカにおけるスペインの最大の拠点として発展した。1551年には、南アメリカ最初のサン・マルコス大学(現在はカヤオに移転)が設立され、1563年には、南アメリカ初の劇場も建設された。すでに4世紀半の歴史をもつ都市であるが、大都市として発展したのは近年で、植民地時代の壮麗な建物が近代的なビル群に入り交じり、中心部の市街はよく整備されている。スペイン風のバルコニーをもつ植民地時代の町並み、郊外の豪壮な高級住宅街、外縁部に広がる巨大なスラム街など、コントラストの強い市街構成をもつ。
観光資源としては、ほかにピサロのものと称されているミイラのある大寺院、ラルコ・インカ博物館、天野博物館、付近のインカ遺跡などがある。天野博物館では、アンデス古代文化研究家で実業家の天野芳太郎(よしたろう)が収集した先インカとインカ時代の考古学的遺物をみることができる。大統領官邸、市庁舎などがある中央広場プラサ・デ・アルマスは、植民地時代からの中心地で、観光名所の大部分はこの地域に集まっている。ホルヘ・チャベスJorge Cháves国際空港(リマ国際空港)がある。
[山本正三]
1988年にサン・フランシスコ修道院と大聖堂が、1991年に範囲を広げて「リマ歴史地区」としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録された。
[編集部]
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ペルー共和国の首都。先史時代ニエベリーア(リマ)文化が栄え,今でも市内に多くの遺跡が残っている。スペイン植民地時代にはペルー副王領の首都で,「諸王の都」と呼ばれ,1551年アメリカ大陸最古のサン・マルコス大学が設立された。独立後太平洋戦争でチリ軍に占領されて荒廃したが,その後再建され,今でも旧市街の面影を残している。1970年以後農村人口の流入が激しく,膨大なスラムに取り囲まれている。外港はカリャオ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…スペイン人コンキスタドール(新大陸征服者)。フランシスコ・ピサロの異母弟。兄フランシスコとともにペルーへ渡る。インカ帝国征服後,1540年伝説上の〈ニッケイの国〉を求めて,キトからアンデスを越えてアマゾンの密林へ遠征するが失敗。42年に制定された〈新法〉の実施と初代副王ブラスコ・ヌニェス・ベラの赴任に反対し,コンキスタドールや植民者の権益を守るべく反乱を起こすが,48年,ハキハワナの戦でペドロ・デ・ラ・ガスカ麾下の王室軍に敗れ,処刑された。…
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