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ルントシュテット Rundstedt, Karl Rudolf Gerd von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルントシュテット
Rundstedt, Karl Rudolf Gerd von

[生]1875.12.12. マクデブルク近郊アッシャースレーベン
[没]1953.2.24. ハノーバー
ドイツの軍人。第1次世界大戦では参謀総長をつとめ,その後ドイツ軍の再軍備を推進,1938年 10月上級陸軍司令官で退役。 39年第2次世界大戦勃発前に現役に復帰し,ポーランド,フランス,ロシアの各作戦に軍団を指揮,陸軍元帥となる。対ロシア作戦でヒトラーと衝突,41年解任されたが,ただちに西部戦線の総司令官に任命され連合軍の侵入防御のための準備を行なった。 44年7月交代させられたが,9月再び総司令官として復帰,アルデンヌの反攻を指揮した。 45年5月アメリカ軍に捕えられたが,病身のため釈放された。なお彼はヒトラーを快く思っていなかったが暗殺計画には反対した。当時の連合国遠征軍最高司令官であった D.アイゼンハワーによれば,ドイツで最もすぐれた司令官の一人であったという。

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百科事典マイペディアの解説

ルントシュテット

ドイツの軍人陸軍士官学校,陸軍大学に学んだ。1892年ドイツ陸軍に入り,1930年代初期にベルリン陸軍司令官になるが,ヒトラーについての遠慮のない物言いのため陸軍を追われた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ルントシュテット【Karl Rudolf Gerd von Rundstedt】

1875‐1953
ドイツ陸軍元帥。ハノーファー出身。1892年ドイツ陸軍に入り,1938年最先任将官でいったん退役したが,第2次世界大戦勃発直前に現役復帰,大戦間ドイツ陸軍の最長老であった。対ポーランド作戦では南方軍集団,対フランス作戦ではA軍集団,対ロシア作戦で南方軍集団を指揮した。41年末ロストフ付近の作戦でヒトラーと意見が衝突し解任されたが,半年後にはフランス正面の西方軍総司令官に任命された。連合軍ノルマンディー上陸作戦後の44年7月には和平を具申して解任されるが,ヒトラー暗殺未遂事件後の9月,再度西方軍総司令官となり,同年末のアルデンヌの攻勢を指揮,翌年3月までその地位にあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルントシュテット
るんとしゅてっと
Karl Rudolf Gerd von Rundstedt
(1875―1953)

ドイツ陸軍元帥。第一次世界大戦には少佐として参戦。1932年大将。第二次世界大戦では軍集団司令官としてポーランド作戦、西部戦線、東部戦線で指揮をとり、1940年元帥昇進。1941年ソ連軍の反攻にあい、軍を一時後退させたことでヒトラーと衝突、軍集団司令官を辞任。1942年西部戦線総司令官に任命されたが、1944年6月の連合国軍のノルマンディー上陸直後、ふたたび後退命令を出したことで解任された。3か月後再任されアルデンヌ作戦によって一時反攻に成功したが、翌1945年春、連合国軍のライン川突破によりまたも解任された。戦後イギリス軍事裁判に付されたが病気のため釈放、1953年ハノーバーで死去した。[藤村瞬一]

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