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レソト レソト Lesotho

翻訳|Lesotho

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

レソト
レソト
Lesotho

正式名称 レソト王国 Kingdom of Lesotho。面積 3万355km2。人口 192万5000(2011推計)。首都 マセルアフリカ大陸南東部にある国。南アフリカ共和国に囲まれた内陸の立憲君主国

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デジタル大辞泉の解説

レソト(Lesotho)

アフリカ南部の王国。立憲君主制。首都マセル南アフリカ共和国に囲まれて高地にあり、牧畜・農業が行われるダイヤモンドを産出。1884年英国の保護領バストランドとなり1966年独立。英連邦の一員。面積約3万平方キロメートル。人口192万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

レソト

◎正式名称−レソト王国Kingdom of Lesotho。◎面積−3万355km2。◎人口−189万人(2011)。◎首都−マセルMaseru(18万人,2011)。

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世界大百科事典 第2版の解説

レソト【Lesotho】

正式名称=レソト王国Kingdom of Lesotho面積=3万0355km2人口(1996)=197万人首都=マセルMaseru(日本との時差=-7時間)主要言語=ソト語,英語通貨=ロティLoti(複数マロティMaloti)アフリカ南部の内陸にある王国。周囲を南アフリカ共和国に取り囲まれているが,周囲をただ1国によって取り囲まれているのは,サンマリノバチカンとこの国の三つだけである。高峻(こうしゆん)な山地が多く,〈アフリカのスイス〉と呼ばれる

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大辞林 第三版の解説

レソト【Lesotho】

アフリカ南部の立憲君主国。周囲を南アフリカ共和国に囲まれた内陸国。もとイギリス保護領バストランド。1966年独立。ダイヤモンド・羊毛などを産出。住民は黒人のレソト族。主要言語は英語と南ソト語。首都マセル。面積3万平方キロメートル。人口180万( 2005)。正称、レソト王国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

レソト
れそと
Lesotho

南部アフリカの内陸にある王国。周囲を南アフリカ共和国に取り囲まれている。旧イギリス保護領バストランド。正式名称はレソト王国Kingdom of Lesotho。レソトとはソト人(バスト人)の国の意。面積約3万0355平方キロメートル、人口204万(2000推計)。首都はマセル。[林 晃史]

自然

南部アフリカ台地上にあり、国土の大半が海抜1820~3350メートルである。南東側が高く北西に低い。カレドン川とケーブ・サンドストーンテラスの間に全国土の約4分の1を占める西部低地がある。テラス部はレソト内の農業生産地域で、その東側の高地はオレンジ川の源流域でドラケンスベルク山脈の西側にあたる。年降水量は635ミリメートルで高地はとくに多い。雨期は10月~4月で、冬季には降雪もある。平均気温は低地で夏に約21℃、冬に7℃である。[林 晃史]

歴史

18世紀バントゥー語系のソト人が北方より移動しカレドン川流域に定着した。19世紀初めズールー人の拡大(ムフェカネ)の影響を受けて首長モシュシュはマセル付近のタバ・ボシュウに逃れ定着し、やがて王国を形成した。1830年代ケープから北上してきたブーア人に絶えず国境を侵害されたため、王はイギリスに保護を求め71年バストランドはケープ植民地に併合され、84年正式にイギリスの保護領となった。イギリスは南アフリカ駐在の高等弁務官を通じて統治したが、重要な決定を除いて実際はソト人の王と首長の政治組織(ピトソ)によって行政が行われた。
 1955年ピトソはイギリスに対しいっそうの自治を要求し、60年、首長層および選出議員よりなる民族評議会がつくられた。一方、政党活動も盛んになり、1952年モケレによりバストランド会議党(BCP)、59年ジョナサンによりバストランド国民党(BNP)などがつくられた。彼らはイギリスからの独立を要求し、64年のロンドン制憲会議、65年の総選挙を経て、66年10月4日立憲君主国レソトとして独立、BNP党首ジョナサンが初代首相となった。しかし独立後まもなく国王と首相との間で対立が起こり、ジョナサンは国王をオランダへ追放した。のち国王は政治不介入を条件に帰国が許された。[林 晃史]

政治

1966年独立憲法は上下二院制をとり、上院33名(首長任命22名、国王任命11名)と下院60名(すべて選出)からなったが、70年総選挙で野党バストランド会議党(BCP)が多数を占めることが明らかになると、首相のジョナサンはただちに選挙結果を無効にし、憲法を停止した。73年ジョナサンは新憲法起草のための暫定国民議会を開いたが、野党はジョナサンの独裁化に反対し、抗争が続いていた。ジョナサン政権は南アフリカ共和国の黒人解放組織アフリカ民族会議(ANC)を支持し、中ソに接近するなど南アと対決する政策をとっていたが、南アは86年1月、ANCゲリラ規制を口実にレソトを経済封鎖、同月、南アに支援されたレハンヤ将軍がクーデターを決行、ジョナサン政権を打倒して、国王モシュシュ2世に行政、立法権を与え、軍事評議会を発足させた。1989年2月、軍事政権は野党BCPのモケレ党首ら亡命グループの帰国を許した。一方、レハンヤは国王モシュシュ2世と対立し、国王の権限を剥奪(はくだつ)してイギリスに追放した。さらに亡命した国王が民政移管、複数政党制の導入を要求すると、90年11月、軍事評議会はモシュシュ2世を廃位し、かわって息子をレツィエ3世として即位させた。
 しかし冷戦構造崩壊による民主化の影響はレソトにも波及し、1990年2月レハンヤは92年をめどに民政移管を目ざすタスクフォース(任務部隊)を任命した。1991年4月、軍部内のクーデターが起こり、レハンヤは失脚し、かわってラマエマ大佐が軍評議会議長となった。ラマエマは予定より1年遅れて93年3月、複数政党制の下で総選挙を実施し、BCPが全65議席を獲得、モケレ政権が発足した。しかし、翌94年8月、レツィエ3世のクーデターによりモケレ政権は倒れた。これに対し周辺国の南アフリカ、ジンバブエ、ボツワナがレツィエ3世の説得に当り、9月にモケレ政権は復活した。同政権はモシュシュ2世を95年1月に復位させたが、その1年後の96年1月モシュシュ2世は自動車事故で死去し、レツィエ3世が復位した。[林 晃史]

経済・産業

1人当りの国民総所得(GNI)は580ドル(2000)と低く最貧国の一つである。主要産業は農業、牧畜であり、この両者で国内総生産(GDP)の約70%を占める。農業は、国土が山がちであるため可耕地は全国土のわずか13%に限られ、トウモロコシ、小麦、ソルガム(モロコシ)、豆類の自給用作物を栽培している。牧畜は盛んで、家畜の頭数は人口を上回る。鉱業は、近年開発が進み、1976年北東部のレッツェング・ラ・テライにダイヤモンドの富鉱が発見され、南アフリカ共和国系デビアース社が採掘にあたっている。オレンジ川源流域にあるため水資源は豊富で、87年、南アに送電するハイランド水利計画が着工された。工業化促進のため国家開発公社がつくられたが、衣料、再生タイヤ、織物、家具製造など小規模工業しか発達していない。
 独立以来、レソトは、南アフリカ共和国の人種主義に反対し、政治的には対立しながらも、経済的には南アに依存していた。ほとんどの工業製品を南アから輸入しているほか、毎年多数のレソト成年男子が南ア金鉱山に出稼ぎに出ており、その送金が家計の重要な部分を占めている。さらにレソトは南部アフリカ関税同盟に加盟している。毎年この関税プールからの分配金のうち約1.7%をレソトが受け取っているが、このわずかの分配金がレソト国家財政の重要な部分を占めている。このような南アへの経済依存から脱却するため、1977年EC(ヨーロッパ共同体)とのロメ協定に調印し、さらに80年には南部アフリカ開発調整会議(SADCC、1992年南部アフリカ開発共同体SADCへ移行)、81年には東南部アフリカ特恵貿易地域(PTA、1992年東南部アフリカ共同市場COMESAへ移行)に加盟した。[林 晃史]

社会・文化

住民のほとんどがバントゥー系ソト人で、宗教はキリスト教が人口の4分の3を占める。国立はレソト大学があり、初等教育の就学率は高い。[林 晃史]

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