コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ロベルト ロベルト Roberto, Holden Álvaro

2件 の用語解説(ロベルトの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロベルト
ロベルト
Roberto, Holden Álvaro

[生]1923.1.12. サンサルバドルコンゴ
[没]2007.8.2. ルアンダ
アンゴラ民族主義指導者。ポルトガル領アンゴラに生まれ,1925年叔母に連れられてベルギー領コンゴ(→コンゴ民主共和国)に移り,レオポルドビル,次いでサンサルバドルドコンゴのイギリスミッション・スクールで教育を受けた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロベルト
ろべると
Holden Alvaro Roberto
(1923―2007)

アンゴラの解放運動指導者。北部アンゴラのサンサルバドルに生まれる。ベルギー領コンゴ(のちザイール、現在のコンゴ民主共和国)のバプテスト宣教学校卒業後、同国の政庁、貿易会社に勤務。1958年アンゴラ人民同盟(UPA)に加入、1961年武力蜂起(ほうき)に失敗してコンゴ共和国に逃れ、1962年アンゴラ国民解放戦線(FNLA)を結成。北部のバコンゴ人を重視するバコンゴ部族主義、反共主義を掲げアメリカ、ザイールの支持を得る。1975年独立をめぐってネトの率いるアンゴラ解放人民運動(MPLA)と対立。先にFNLAを離脱したサビンビのアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)と結んで内戦に突入。1975年11月MPLAと対抗してアンゴラ人民民主共和国を宣言、大統領に就任。しかしキューバ軍の支援するMPLA軍に敗れ亡命。1991年に帰国したが、以後彼の政治的影響力は急速に失われた。[林 晃史]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のロベルトの言及

【ナポリ王国】より

…アンジュー家は教皇の封建臣下となり,イタリアにおけるゲルフ党の中心として大きな勢力を振るった。14世紀初頭のロベルトRoberto王の時代が最盛期である。14世紀後半に一時王位継承の争いによって国勢が衰えたが,ラディズラオLadislao d’Angio王(在位1386‐1414)のときには領土を拡大し,北の教皇領を侵略した。…

※「ロベルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ロベルトの関連キーワードエルサルバドルサンサルバドルサンサルバドルデフフイサンサルバドル島サルバドールネオサルバルサンサルバドル/遥かなる日々サン・サルバドルサン・サルバドル憲章サン・サルバドル城

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ロベルトの関連情報