ロルシュ修道院(読み)ロルシュシュウドウイン

デジタル大辞泉 「ロルシュ修道院」の意味・読み・例文・類語

ロルシュ‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【ロルシュ修道院】

Reichsabtei Lorsch》ドイツ南西部、ヘッセン州都市ロルシュにある修道院遺構。764年、カロリング朝フランク王国の時代建造。現在は「王の門」のみが残る。ロマネスク以前のカロリング朝の建築様式を伝える建造物として知られ、1991年に「ロルシュの王立修道院とアルテンミュンスター」の名で世界遺産文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ロルシュ修道院」の意味・わかりやすい解説

ロルシュ修道院 (ロルシュしゅうどういん)

中世ドイツの修道院。762年ウォルムス近傍のロルシュLorschにルペルティーナ家Rupertinerが建立し,メッツ司教クローデガングの指導のもとに成立した。772年帝国修道院となる。9世紀には120ないし150名の修道士を擁したと推定され,王家その他大小領主から寄進された所領はライン川全流域に広がり,商業的活動も盛んであった。学問,芸術の府としても栄え,とくに教会法学と歴史学に優れ,その図書館は当時最大級のものであったらしい。

 11世紀後半から解体過程をたどり,1323年マインツ大司教座に所属,1462年にはライン宮中伯のものとなり,1563年廃止された。財産の散逸を防ぐため12世紀後半に寄進証書の編集がなされたが,それも衰退を阻止するには至らなかった。しかしこのとき集められた約4000通の証書を含む《コデックス・ラウレスハメンシス》は中世史研究の貴重な史料である。また2階に礼拝室をもつ2層の門がカロリング建築美術の記念碑として現存する。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロルシュ修道院」の意味・わかりやすい解説

ロルシュ修道院
ロルシュしゅうどういん
Kloster Lorsch

ドイツ,ヘッセン州南部の町ロルシュに残る中世の王立修道院。 764年,領主オーバーラインガウ伯カンコールとその母が私的修道院を建ててメスの大司教クロデガングに託したのが始まりとされる。クロデガングが教皇から殉教者聖ナザリウスの遺骨を譲り受けたのを機に巡礼者をひきつけるようになった。9世紀後半,東フランク王のルートウィヒ2世聖堂東側に王家の墓廟を,その息子ルートウィヒ3世が華麗な壁画と装飾から「彩りの聖堂」と呼ばれる地下祭室をつくった。またその頃,『ロルシュの福音集』をはじめとする 600冊もの写本を有していた。とりわけ有名な楼門は「王の門」とも呼ばれ,正面の外壁に幾何学模様の装飾石積みが施された独特なもので,カロリング朝建築の貴重な遺構となっている。 1991年世界遺産の文化遺産に登録。

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