一日市場村(読み)ひといちばむら

日本歴史地名大系 「一日市場村」の解説

一日市場村
ひといちばむら

[現在地名]三郷村大字明盛めいせい 一日市場

あずさ川扇状地の中央に位置し、南北に長い街村をなす。文禄年代(一五九二―九六)成立の筑摩安曇両郡郷村御朱印御高附に村高「千弐百六拾壱石三斗六升、此内三石ハ長徳寺領、二ツ木村」とあり、寛文三年(一六六三)検地によって、二木ふたつぎ村・七日市場なのかいちば村・一日市場村に分村する。

中町の東裏にあたり、長尾前から庄野薬師を通って当町に入る地点に市海渡いちがいとの地字がある。おそらく一日市場の起源となった地点であろう。

<資料は省略されています>

松本城主小笠原貞慶が当村に居住した二木豊後守に命じて西牧領河西の白木・材木・薪を二木市で商売すべきことを命じたものであるが(「御証文集」笠系大附録)、この二木市はこの一日市場であろう。

当村ではその後、正保年代(一六四四―四八)まで大市が立ったといわれている。「長野県町村誌」によると、長徳寺西隣の秋葉社の相殿として蛭児命を祭神とする市神社がある。


一日市場村
ひといちばむら

[現在地名]瑞浪市土岐町ときちよう 一日市場

南西へ流れる土岐川西岸の段丘上にある。北は清水しみず村。川沿いにした街道が通り、街道両側に町並が続く。村名は八幡神社付近にあった土岐館の門前に一日に市が立てられたことにちなむとされる。元禄郷帳に「神篦村之内」として村名がみえ、高二五二石余。一方当村は寺河戸てらかわど村より分れたとも伝えられていた(濃州徇行記)。尾張藩領と岩村藩領の二給。旧高旧領取調帳では尾張藩領分五〇石余のみ記される。尾張藩領分は「濃陽志略」によれば高五〇石余、家数一三・人数七二。「濃州徇行記」では概高六三石余、田二町四反余・畑一町二反余、家数一〇・人数四八、馬一。


一日市場村
ひといちばむら

[現在地名]岐阜市一日市場

曾我屋そがや村の東に位置。村の東境で南流してきた長良古川と、西流してきた長良川が合流する。西境を根尾ねお川が流れ、小島こじま村とともに周囲を堤で囲まれた小さな輪中を形成していた。北に新田がある。慶長郷帳に「人市場村」とみえ、高一六七石余。正保郷帳には一日市場村とみえ、同高、畑方のみ。領主の変遷は寺田てらだ村と同じ。加納藩領のとき家臣二名の給地であった(「家中知行渡方帳」森文書)。明和元年(一七六四)の村明細帳によれば、高一六七石余から「古来永引無反別」五九石余などを引いた残高一〇三石余、畑方のみで反別一一町余、うち屋敷畑一町四反余、ほかに新畑五一石余、諸引残高四八石余・八町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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