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一条実経 いちじょうさねつね

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百科事典マイペディアの解説

一条実経【いちじょうさねつね】

鎌倉中期の公卿(くぎょう)。五摂家の一,一条家の祖で,円明寺関白(えんみょうじかんぱく)と称する。九条道家の三男で,母は西園寺公経(さいおんじきんつね)の女揄子(ゆし)。
→関連項目幡多荘春木荘

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一条実経 いちじょう-さねつね

1223-1284 鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
貞応(じょうおう)2年10月2日生まれ。九条道家の子。母は藤原綸子(りんし)。一条家の祖。父に寵愛(ちょうあい)され,兄二条良実(よしざね)にかわって寛元4年関白,摂政となる。従一位。兄の前将軍九条頼経(よりつね)の陰謀嫌疑により,宝治(ほうじ)元年父ともども失脚。弘長(こうちょう)3年左大臣,文永2年関白に再任。「続後撰(しょくごせん)和歌集」など10の勅撰集に59首おさめられている。弘安(こうあん)7年7月18日死去。62歳。法名は行祚。歌集に「円明寺(えんみょうじ)関白集」。

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世界大百科事典 第2版の解説

いちじょうさねつね【一条実経】

1223‐84(貞応2‐弘安7)
鎌倉中期の公卿。五摂家の一つ一条家の祖。円明寺関白と号する。九条道家の四男,母は西園寺公経の女揄子。父の寵愛を受け1233年(天福1)従三位,46年(寛元4)左大臣から関白,ついで摂政となる。しかし前征夷大将軍頼経が鎌倉から京都へ送還された宝治合戦前後の不安定な政情の中で,頼経の父道家が政界から退けられると,朝廷内での力は兄良実や西園寺実氏に移った。【清田 善樹】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

一条実経
いちじょうさねつね
(1223―1284)

鎌倉中期の公卿(くぎょう)。五摂家の一つ、一条家の祖。九条道家(みちいえ)の四男。長兄教実(のりざね)の早世後、次兄良実(よしざね)と不仲であった父に愛され、1246年(寛元4)父に解任された良実の後任として関白、ついで摂政を務めた。しかし同年、道家三男の前将軍頼経(よりつね)が鎌倉から追われると道家も失脚、翌年実経は摂政を罷免された。その後良実と和解して政界に復帰、1265年(文永2)再度関白となるが、勢力回復には至らなかった。晩年、隠棲(いんせい)した寺名にちなみ円明寺殿(えんみょうじどの)と呼ばれた。[市沢 哲]

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