幡多荘(読み)はたのしょう

百科事典マイペディアの解説

幡多荘【はたのしょう】

土佐国幡多(はた)郡のほぼ全域と高岡郡の一部を占めた土佐最大の荘園。現高知県幡多郡・中村市(現・四万十市)・宿毛(すくも)市・土佐清水市などにわたる。一条家領。13世紀初頭に土佐国は九条家知行国となり,九条道家の時代に幡多荘が成立したとみられるが,立荘の経緯や年次は不明。1250年の道家の家領処分で幡多荘は子の一条実経に譲渡された。荘官には通例の公文(くもん)・下司(げし)などのほか年貢や物資輸送のための船所(ふなどころ)職が置かれていた。応仁の乱の頃から在地勢力の侵略・押領(おうりょう)が激化したため,1468年一条兼良の長子教房が幡多荘に下向,家領の回復に努めて成果を上げた。以後土佐一条氏は南海路交易にかかわって財をなし,戦国大名へと転身,1575年に長宗我部(ちょうそかべ)氏に屈するまで幡多荘に君臨した。

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世界大百科事典 第2版の解説

はたのしょう【幡多荘】

土佐国(高知県)幡多郡のほぼ全域と高岡郡の一部(現,窪川町,中土佐町久礼(くれ))を占める土佐最大の荘園。藤原氏は平安末期から鎌倉初期に土佐国を知行国としており,そのころからとくに幡多郡および足摺岬金剛福寺と縁が深かった。その関係によってか,九条道家のときに九条家家領として幡多荘が立荘され,史料上は1237年(嘉禎3)が荘名の初見である。その後,道家の3子実経は一条家を分立,50年(建長2)多くの家領を道家から譲られたが,その中に幡多本荘,大方荘,山田荘,以南村,久礼別符がある。

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世界大百科事典内の幡多荘の言及

【中村[市]】より

…市街地地表下には縄文晩期の中村貝塚が埋蔵される。鎌倉初期,幡多郡一帯は九条家領(のち一条家領)の荘園幡多荘となるが,当地はその本郷(本荘)であった。1468年(応仁2)前関白一条教房は応仁の乱の戦火を避けて当地に下向,〈中村御所〉〈中村館〉とよばれる居館を構え,家領幡多荘の維持と町づくりに努めた。…

※「幡多荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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