万善村
まんぜんむら
[現在地名]猪名川町万善
北田原村の西にあり、北から西は木津村。東部を猪名川沿いに丹波への道が南北に通じ、中央部から分れて三田に至る道が川床川沿いに延びている。中世は多田庄タダノシヨウのうちで、多田院(現川西市)の応安元年(一三六八)四月八日の金堂供養棟別銭注文(多田神社文書)に「万善村 十五家」とある。永和元年(一三七五)にも当村の一五家が多田院の法花堂・常行堂・地蔵堂造営のため棟別銭を納めている(七月二五日諸堂造営棟別銭郷村注文)。文明一八年(一四八六)の多田庄段銭結解状では本田方分として一町(二段不作・二段井料)に二〇〇文を納めたが、新田方分は七段小(現地二段九〇歩)で、納入額は記されない。
万善村
まんぜんむら
[現在地名]作東町万善
柿ヶ原村の南西に位置し、北西は国貞村。正保郷帳に村名がみえ、田一一〇石・畑一三三石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高七三石余・開高一五石余、村位は下。津山藩森氏断絶後の領主の変遷は蓮花寺村と同様。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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