アメリカの国際法学者ホイートンHenry Wheaton(中国語表記は恵頓)のスタンダードな国際法の教科書《Elements of International Law》(1836初版)の中国在住アメリカ人宣教師W.マーティン(丁韓良)による中国語訳(底本はおそらく1855年の6版)。1864年刊。翌1865年(慶応1)に幕府開成所により訓点・振りがなを付して翻刻刊行され,維新後も版を重ねた。本書にはなお重野安繹の和訳本(鹿児島藩蔵梓,1870),高谷竜洲の注釈本(済美黌刊,1876)など和訳本・注釈本も数種刊行され,幕末,明治初年に日本の上下を通じて広く読まれた。マーティンが国際法論における自然法的な面を強調して〈万国公法〉という訳語を造ったことから,本書は日本においても〈万国公法〉-〈宇内の公法〉-〈天地の公道〉といった連想で儒教的自然法と結びつけてヨーロッパ国際法を理解することを助け,また〈公道〉観念の発達をも促して,外交内政を通じ,近代政治思想の形成に大きな影響を及ぼした。
執筆者:松沢 弘陽
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
幕末~明治初期の日本と中国で使われた国際法の別称。1865年(慶応元)幕府の開成所が「万国公法」を翻刻し,この呼称は日本でも広く普及した。万国公法は当時,儒教でいう「天地の公道」に相当する自然法と理解され,弱小国の外交を支える国際的拘束力を期待された。なお国際法の語は,73年(明治6)の箕作麟祥(みつくりりんしょう)による別書の翻訳書名から広まり,81年には東京大学の学科目の名称に採用された。
幕末期の国際法解説の漢訳書。ヘンリー・ホイートンの「Elements of International Law」を1864年アメリカ人宣教師マーティンが「万国公法」と題して漢訳,日本でも翌65年(慶応元)開成所が翻刻。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…国際組織
【日本と国際法】
開国以来の近代日本のあゆみは,国際法と深くかかわっている。まず日本は,1853年(嘉永6)のペリー来航以後,欧米列強の軍事的圧力のもとで鎖国を解き,諸国と交際を始めるようになったが,その際,日本がとるべき行動の範囲は,ヨーロッパに発達した近代国際法(当時,日本では〈万国普遍の法〉〈万国公法〉などと呼ばれていた)のルールと,そのもとで結ばれた欧米諸国との間の通商条約(いわゆる不平等条約)によって規定されたのである。こうした国際法の枠の中で,日本は明治維新以後,大日本帝国憲法をはじめ各種の法令を整備し,近代的な国家機構を確立していったのである。…
…1863年オランダのライデンで西周と津田真道に,治国学の基本として自然法,国際法,国法,経済学および統計学を教授したことで知られている。その講義は後に翻訳され,西周《万国公法》(1868),神田孝平《性法略》(1871),津田真道《泰西国法論》(1868)および,同《表記提綱》(1874)として公刊され,揺籃期の日本の法学・政治学に影響を及ぼした。フィセリングはアムステルダムに生まれ,同地およびライデンの大学に学ぶ。…
…中国の洋務運動に協力して法律・科学書の翻訳につとめる。ホイートンの国際法に関する著書を訳した《万国公法》は,もっとも大きな影響力をもち,中国のみならず広く幕末・維新の日本でも読まれた。【春名 徹】。…
※「万国公法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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