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万斯同 ばんしどうWan Si-tong

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

万斯同
ばんしどう
Wan Si-tong

[生]崇禎11(1638)
[没]康煕41(1702)
中国,清初の歴史学者。浙江省ぎん県の人。字は季野。初め兄の万斯大とともに黄宗羲の教えを受けた。清朝から招かれたが仕官を欲せず,官につかぬまま明史館で『明史』の編纂に力を尽した。また徐乾学に招かれ,『読礼通考』の編纂にも協力した。著書に『歴代史表』 (53巻) ,『儒林宗派』 (16巻) ,『声韻源流考』 (44巻) ,『石経考』 (1巻) などがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ばんしどう【万斯同 Wàn Sī tóng】

1638‐1702
中国,清代初の学者。字は季野,石園先生と称される。浙江省鄞(ぎん)県(現,寧波(ニンポー)市)の人。兄の万斯大とともに黄宗羲を師とし,広く歴史に通じ,ことに明代の掌故を熟知していた。1678年(康熙17),博学鴻詞にすすめられたが固辞した。しかし翌年,徐乾学らによる明史編纂が始まると,明史館に入って編纂官の分担した原稿に手を加えて統一するなど,修史事業に傾倒した。王鴻緒の名で成る《明史稿》313巻がそれで,大部分が万斯同の手定によるものであり,これは後の《明史》336巻に,ほとんどそのまま受けつがれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

万斯同
ばんしどう
(1638―1702)

中国、清(しん)代初期の学者。字(あざな)は季野、号して石園。浙江(せっこう)(きん)県(寧波(ニンポー))の人。黄宗羲(こうそうぎ)の門に学び、礼学と史学に長じた。明(みん)代の掌故に詳しく、かねて『旧唐書(くとうじょ)』以後の歴代史が纂修(さんしゅう)官の共編になったことに飽き足りなかったところから、1679年(康煕18)に明史館(みんしかん)がおこされたときも、その編纂事業に直接には参加せず、かえって500巻に及ぶ稿本を手定してみせた。ちなみに『明史』332巻は斯同の稿本を踏襲したものである。また徐乾元(じょけんげん)の『読礼通考』160巻も、実は斯同の筆に出るといわれる。ほかに『歴代史表』60巻、『儒林宗派』『羣書疑弁(ぐんしょぎべん)』各16巻、『石園詩文集』20巻などがあり、清朝への抵抗の精神を感じさせる。[宮内 保]
『『清史稿 484巻』 ▽『国朝先正事略 32巻』 ▽『国朝詩人徴略 三巻』 ▽『清人文集別録 三巻』 ▽李著『万季野小伝』(『恕谷後集 六巻』所収) ▽方苞著『万季野墓表』(『望溪先生文集 12巻』所収) ▽銭大著『万先生伝』(『潜研堂文集 38巻』所収)』

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世界大百科事典内の万斯同の言及

【黄宗羲】より

… 明王朝復興の望みが絶たれると故郷で学問と著述に専念した。新しい清王朝には出仕しなかったが,康熙帝が明代史を編纂しようとしたときには,弟子の万斯同と子の黄百家を送り史館に入れて協力させた。彼の著述は,きわめて多いが,最も有名なのは,明代学術史である《明儒学案》62巻,宋・元学術史である《宋元学案》100巻(全祖望との共著)で,両書は宋代以後の学術思想を論ずる場合に必須のものである。…

【明史】より

…1679年(康熙18)本格的に編纂が始まり,1739年(乾隆4)に刊行された。60年に及ぶこの間,多数の学者がこの事業に関与したが,とくに黄宗羲の弟子万斯同(ばんしどう)は,布衣の身分のままこれに参加し,史料の整理,体例の決定,原稿の作成などに大きな役割を果たした。万斯同の死後は王鴻緒(1645‐1723)がこれを引き継いだ。…

※「万斯同」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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