万町村
まんちようむら
[現在地名]和泉市万町・緑ヶ丘
室堂村の西、槙尾川左岸にある。池田谷の一村。村の南部に阿弥陀が原があり、往古、大念仏本尊が空から舞いおり、この原の木に懸かっていたと伝える(泉邦四県石高寺社旧跡并地侍伝)。当村および南の浦田・鍛冶屋の三村は中世池田庄上方箕田村といった(和泉市史)。箕田村は建治二年(一二七六)六月二〇日の和泉守護裁許状(松尾寺文書)にみえ、御家人中原公員と箕田村民とが梨本山の木材伐採について争っている。裁許状では和泉国守護代は公員の主張を認め、村人側の伐採を停止させている。
万町村
まんぢようむら
[現在地名]旭町万町
矢作川の支流介木川に沿い、東は閑羅瀬村・小滝野村・余平村、南は太田村、西は余平村枝郷間野・小渡村、北は時瀬村に接する。集落は谷地形の中の山麓と山腹に点在。現県道小渡―明川―足助線が通る。縄文時代時期不詳の万町広見遺跡が山麓の傾斜地に立地。県道脇の山の尾根の中間を二つの堀切(空堀)によって切った細長い城地跡がある。本丸と西側に帯曲輪がある。大正一〇年(一九二一)の「旭村誌」は、城主成瀬六三郎良房と伝える。
万町村
まんちようむら
[現在地名]中川区万町・柳森
東に本郷村、南に高畑村、西に八田村(現中村区)、北に烏森村(現中村区)がある。付近一帯は万町遺跡といい、須恵器や中世陶器が出土する。寛文一一年(一六七一)の家数一七、人数一〇九(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田畑一七町六反余のうち田が一二町五反余、概高二三八石のうち二二八石余が藩士八人の給知。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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