三別抄の乱(読み)さんべつしょうのらん(その他表記)Sambyǒlch'oǔi nan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三別抄の乱」の意味・わかりやすい解説

三別抄の乱
さんべつしょうのらん
Sambyǒlch'oǔi nan

朝鮮,高麗元宗 11 (1270) 年から同 14年に及ぶ武人反乱および農民蜂起。三別抄とは左右別抄と神義別抄から成る特別の軍団呼称。 13世紀前半,モンゴル軍の侵入を受けた高麗王室は一時江華島に逃れたが,元宗 11年についに降伏した。当時高麗朝は崔氏武人政権に左右されていたが,三別抄軍は初め崔氏の命を受けて江華島を守るため編成され,対モンゴル戦でも戦果をあげていた。崔氏政権がくずれて朝廷が開京への遷都を決定すると,これに反対した三別抄は,王族の王温を擁立して全羅道南西沿海の珍島に走り,ここを根拠地として反元反政府運動を展開した。同 12年,珍島陥落ののち耽羅 (現在の済州島) に拠って抵抗し,各地の農民蜂起を誘発させたが,同 14年鎮圧された。この乱の平定によって,モンゴルの日本遠征への障害は取除かれた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「三別抄の乱」の解説

三別抄の乱
さんべつしょうのらん

高麗(こうらい)の武将が元の支配に反抗しておこした反乱。別抄とは高麗で特別編成された選抜部隊をいい,左夜別抄・右夜別抄・神義別抄の3隊を三別抄とよんだ。1270年,モンゴル軍の侵入に応戦した高麗の武将裴仲孫(はいちゅうそん)らは,江華島に難を逃れていた元宗(げんそう)がモンゴルに降伏して開城に還都するのに反対して,三別抄軍を率いて済州島などで抵抗を続けたが,73年鎮圧された。

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世界大百科事典(旧版)内の三別抄の乱の言及

【元】より

…中国を支配したモンゴル民族の王朝。1260‐1368年。国号の元は1271年(至元8)に《易経》の乾の〈大いなるかな乾元,万物資始す〉に基づき,定められた。
【政治】
 1205年アルタイ地方に拠る強敵ナイマン部の撃滅をもって完結した太祖チンギス・ハーンのモンゴリア統一によって,後年アレクサンドロス大王の帝国をも凌駕するまでに成長するモンゴル帝国はその政治的基盤を固めた。ところで牧畜経済にとって唯一の資財たる家畜はその累積がきわめて困難な関係上,遊牧国家がその発展を期するために隣接する異なる経済圏の制圧を企てるのは匈奴帝国以来の通例である。…

※「三別抄の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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