三嶋神社(読み)みしまじんじや

日本歴史地名大系 「三嶋神社」の解説

三嶋神社
みしまじんじや

[現在地名]大井町上大井

上大井かみおおいの中央部、酒匂さかわ堰右岸にある。旧郷社。祭神は積羽八重言代主神・伊古那姫命・大山咋命・伊弉那岐命・蒼稲魂命。古くは大井宮といい、年不詳の大井之宮縁起(県史八)によれば、伊豆三島社を信仰した源頼朝が八ヵ所に建立した三島社の一つと伝える。

応永三〇年(一四二三)一一月一一日の関東公方足利持氏寄進状写(県史三)に「西(大)井宮社領寄進事」とあり、駿河発向に際しての祈念のため八五貫文の寄進を受ける。小田原北条氏は「御鷹野之御休息所」として氏政が五貫文、氏康が一貫文など合せて八貫文を寄進し(年欠一二月二八日「遠山修理書状」同書)、大永二年(一五二二)九月一一日には社領・神主屋敷の諸役免除など三ヵ条の法度を定め(「伊勢北条家朱印状」同書)、永禄一一年(一五六八)一月二八日にも宮の木・下草伐採、牛馬の入ることを禁ずるなど(「北条家朱印状」同書)、手厚い保護を与えている。


三嶋神社
みしまじんじや

[現在地名]八戸市白銀町 三島上

白銀しろがね町のほぼ中央に位置する。祭神は市杵島姫命・多岐理毘売命・多岐都比売命で、旧村社。

雑書の承応二年(一六五三)五月一〇日条に「所々御立願之事」として「三嶋明神」とみえ、寛文五年(一六六五)の無量院の御立願状(常泉院文書)に「一白金ノ三嶋明神 鷂絵納事」とある。宝暦五年(一七五五)の堂林寺門間数改書上帳(同文書)によれば享保三年(一七一八)白銀(白金浜)村中により堂が建立されたという。


三嶋神社
みしまじんじや

[現在地名]亀田郡七飯町字本町

七飯岳(七七九・二メートル)の南西麓に鎮座する。祭神大山祇命・木花開耶姫命。旧村社。「検考録」によると七重ななえ村の鎮守三島大明神と号し、祭神は大山祇命と金山彦命・火明命。「渡島国地誌提要」は原始不詳、元和四年(一六一八)再建の棟札ありとする。社伝は天文元年(一五三二)あるいは元和四年、菊池肥後守武重の末裔惣太夫が鳴川なるかわ社殿を造営したのに始まるともいう(七飯町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「三嶋神社」の解説

三嶋神社

(愛知県岡崎市上六名町字三島1)
ふるさとの森指定の地域遺産。
面積1,500【m2】

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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