月のうち3日開かれた中世の定期市。史料的には平安末期から成立が認められるが、鎌倉時代には農業や手工業の生産力の向上、銭貨(せんか)流通の増大、荘園(しょうえん)年貢物の換貨・銭納などを背景に、全国の荘園、公領に成立した。三斎市のいわれは、仏教の法会や行事と関連して市が開かれたことに由来するものであろうが、中世にはかならずしもそれとかかわりなく、個々の地域の経済事情で市日が決定され、開かれるようになった。市はおもに社寺門前、水陸交通の要地、荘園政所(まんどころ)や地頭館(じとうやかた)の近くに開かれた。今日各地に残されている二日市、三日市、四日市、八日市など、市開催日にちなんだ地名は、中世三斎市の名残(なごり)を示すものが多い。
[佐々木銀弥]
平安末~江戸時代に都市・農村で特定の日に月3度開かれた定期市。史料上は三度市とよばれ,三斎市という用法はみられない。室町前期に全国的に広がるが,平安末期からみられる。市日が各地域の中心的な親市の市日を基準に決定されるなど,地域ごとに各市の競合を避けるために市日が調整されていた。しだいに姿を消し,室町後期~戦国期になると月6回開かれる六斎市が一般化し,戦国大名は新宿開設の際,六斎市を開くことが多かった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…国津や社寺の門前にも市が立ちはじめ,干支による辰市や酉市なども開かれた。鎌倉期になると,月3度の定期市,いわゆる三斎市が多くなる。幕府の膝下,鎌倉では,1251年(建長3),大町など7ヵ所に市立ての場所が定められ,65年(文永2)は9ヵ所に増加している。…
※「三斎市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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