日本大百科全書(ニッポニカ) 「三星グループ」の意味・わかりやすい解説
三星グループ
さんせいぐるーぷ / サムスン
Samsung group
韓国(大韓民国)の巨大企業グループ。現代(げんだい/ヒュンダイ)グループや、1999年7月に事実上解体した大宇(だいう/デウ)グループと並んで韓国三大企業グループとよばれていた。三星財閥を構成している。三星グループは朝鮮戦争後の復興期に消費財の国産化を図ることによって事業を拡大し、1950年代末に韓国屈指の財閥となった。1960年代なかばからは「漢江(ハンガン)の奇跡」とよばれる韓国経済の高度成長の中心的企業グループであった。この三星グループと大宇グループの躍進の背景には大宇グループの創立者である金宇中(きんうちゅう/キムウジュン)(1936―2019)や三星グループの創立者である李秉喆(りへいてつ/イビョンチョル)(1910―1987)と同じ慶尚道(けいしょうどう/キョンサンド)出身で開発独裁政権の典型といわれ、高度成長政策を推し進めた朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)政権との緊密な連携関係があった。
グループの傘下企業は三星物産、三星SDI、三星電子、三星重工業、三星テックウィン、三星生命保険、三星火災海上保険など30数社に及び、プロ野球のサムスン・ライオンズもグループに属している。三星グループは金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)政権の推し進める大規模な企業再編政策のなかで、比較的早期にグループの財政改革に着手し、1997年以来の韓国経済の危機を乗り切った。その後は多角化による収益構造改革に取り組んでいる。
[上川孝夫]
三星物産
韓国の大手総合商社。英語表記はSamsung C&T Corp.。本社所在地はソウル。1938年、日本統治時代に醸造業を営んでいた李秉喆が創設した三星商会が起源である。1947年に設立された三星物産公司(コンス)を経て1952年に現在の組織になった。韓国建国後はアメリカの援助物資を扱い、1953年第一製糖(現、CJ第一製糖、1993年グループから分離)、1954年第一毛織を設立。1958年には第一製糖に製粉部門を併設。1975年、韓国証券取引所に上場し、韓国で初めて総合商社の指定を受けた企業である。半導体、鉄鋼、化学などグループ企業の輸出入窓口の役割を担い、1995年、三星建設を合併して海外開発型事業を展開、衣類部門は自社生産品を販売している。1996年のウォン暴落後は貿易一辺倒の活動から流通・映像事業に進出、1998年には三星自動車を設立したが、厳しい競争のなかで1999年6月倒産した。その後、倒産した三星自動車の債権銀行団は、2000年4月、フランスのルノーによる同社の買収に合意した。三星物産の2008年の売上高11兆8116億ウォン、従業員数約7000人。
[上川孝夫]
三星電子
世界大手の半導体・家電メーカー。英語表記はSamsung Electronics Co., Ltd.。本社所在地はソウル。三星グループの主力企業である。前身の三星電子工業は1969年設立、1980年に韓国電子通信を買収し、社名を三星電子に変更した。2008年時点で、DRAM(ディーラム)、SRAM(エスラム)、NAND(ナンド)フラッシュメモリー、SSD(フラッシュメモリーを使ったドライブ装置)の世界シェア第1位。また、世界のディスプレー生産でも主導権を握っている。世界62か国に約130拠点をもち、2008年の売上高は72兆9530億ウォン、従業員数約15万8000人。
[上川孝夫]
三星重工業
造船、重機械製造、土木建設業などを中心としている韓国の総合重機メーカー。英語表記はSamsung Heavy Industries Co., Ltd.(略称SHI)。本社所在地はソウル。1974年設立。世界最高の船舶建造能力をもつ。2008年の売上高は10兆6644億ウォン、従業員数約1万2000人。
[上川孝夫]
三星火災海上保険
韓国の大手損害保険会社。英語表記はSamsung Fire & Marine Insurance Co., Ltd.。本社所在地はソウル。設立は1952年。国内のみならず、アメリカ、ヨーロッパ、中国、インドネシア、ベトナムなどに営業網を拡充(2008年)。2008年の総資産高21兆4949億ウォン、純利益5987億ウォン、従業員数約5400人。
[上川孝夫]