日本歴史地名大系 「三栖庄」の解説
三栖庄
みすのしよう
三栖庄
みすのしよう
三栖川(現左会津川)の流域に成立した荘園で、初め摂関家領、のち後院領。荘域は上・中・下三栖および
藤原為房の日記「為房卿記」永保元年(一〇八一)一〇月一日条に、熊野詣の往路を記して「辰剋乗海人舟未刻着太万浦、同時越留三栖庄家散位正資、秋津庄・那賀庄贈羇旅之資」とみえ、同七日条によれば為房は帰路も三栖庄家に宿している。当時の熊野街道は田辺から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報