三橋検校(読み)みつはしけんぎょう

改訂新版 世界大百科事典 「三橋検校」の意味・わかりやすい解説

三橋検校 (みつはしけんぎょう)
生没年:1693?-1760(元禄6?-宝暦10)

盲人音楽家。箏曲江戸生田流の祖。都名(いちな)は弥之一,八重一,または勾都(こうのいち)。もと近江膳所(ぜぜ)藩家老の次男とも。京の倉橋検校門下。富山藩の前田利幸に召され,三味線の名手島田検校に認められる。富山およびその江戸屋敷で,生田流箏曲を教える。1736年(元文1)検校に登官。倉橋門下の弟弟子とされる京の安村検校と対立し,組歌の新曲を数多く作る。とくに《宮の鶯》は,安村の《飛燕の曲》との競作と思われ,後の光崎検校の《秋風の曲》に影響を与えた。ほかに段物の《雲井九段》なども作曲。門下の菊崎検校以降江戸に生田流が広まる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三橋検校」の意味・わかりやすい解説

三橋検校
みつはしけんぎょう

[生]?
[没]宝暦10(1760)
江戸時代中期の盲人の箏曲演奏家,作曲家。都名 (いちな) は弥之都。師堂派。倉橋検校 (生田検校門下) 門下。弟子に菊崎検校,清橋勾当,冨野勾当らがいる。長谷富検校より以前に江戸に下り,初めて生田流を江戸に広めた。作品には箏組歌『浮舟』『雪月花』『四季冨士』『四季恋』『玉鬘』『宮鶯』などがあり,古作の『橋姫』を再興している。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三橋検校」の解説

三橋検校 みつはしけんぎょう

?-1760 江戸時代中期の箏曲(そうきょく)家。
近江(おうみ)(滋賀県)膳所(ぜぜ)藩の家老の子。京都の倉橋検校門下で,越中富山藩にかかえられた。作曲に「宮の鶯(うぐいす)」「雪月花」など。江戸生田(いくた)流の祖。宝暦10年2月9日死去。享年は68歳前後。名は弥之一。

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世界大百科事典(旧版)内の三橋検校の言及

【四穴】より

…一竹(いつちく)ともいう。箏を調弦するときに用いられる調子笛の一種で,18世紀前期ごろの三橋(みつはし)検校の創案ともいわれる。江戸時代の盲人箏曲家に用いられたが,現在でも使用する人がある。…

【六玉川】より

…(1)を題材として作られたもので,箏曲の組歌,富本,清元,山田流箏曲,新内節,長唄などにある。箏曲の組歌は宝暦(1751‐64)ころ三橋(みつはし)検校の作曲。富本は本名題を《草枕露の玉歌和(たまがわ)》,1846年(弘化3)3世鳥羽屋里長(とばやりちよう)の作品が現在も残る。…

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