箏曲名。光崎検校作曲。蒔田雁門(高向山人)作詞。1837年(天保8)刊の《箏曲秘譜》に弦名譜初出。天保初期の作曲か。三味線に付随した箏曲ではなく,八橋検校に始まる段物と組歌を理想とした純箏曲を目的として作曲。段物と組歌の合体を試み,前奏に《六段の調》と同拍数の旋律を作曲し,同時に演奏することもできる。歌は,組歌の伝統どおり,六歌から成る。歌詞は,白楽天(白居易)の《長恨歌》の翻案に,謡曲《皇帝》などに引用される〈楊貴妃伝〉を加えたもので,玄宗に召された楊貴妃の喜びと,安禄山の乱で都を追われ殺害されたこと,そして妃亡き後の玄宗の悲嘆を,2歌ずつ,序破急にまとめている。素材や構成面では安村検校の《飛燕(ひえん)の曲》を意識し,調弦の変化や旋律面では,三橋検校の《宮の鶯》の影響を受けている。調弦は,秋風調子と呼ばれ,第四弦から,都節音階の上行形になる。
執筆者:久保田 敏子
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箏曲(そうきょく)の曲名。天保(てんぽう)年間(1830~1844)高向山人(たかむくさんじん)こと蒔田雁門(まきたがんもん)作詞、光崎検校(みつざきけんぎょう)作曲。中国、唐の玄宗皇帝と楊貴妃(ようきひ)との恋愛をテーマに、白楽天(はくらくてん)の『長恨歌(ちょうごんか)』を詞章に取り入れている。安禄山(あんろくざん)の変のおり、四川(しせん)に逃れる途中、楊貴妃が秋風の吹く馬嵬(ばかい)で殺されたことから、この題名がついた。従来、三味線に従属していた箏(こと)が、箏独自の旋律やリズム進行で、新しい道を切り開いた作品として重要。全体に静かで、もの寂しい曲調につくられ、ミ・ファ・ラ・シ・レ・ミの音程関係でできた「秋風調子」を用いている。
[茂手木潔子]
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