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光崎検校 みつざきけんぎょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

光崎検校
みつざきけんぎょう

[生]?
[没]嘉永6(1853)以後
盲人の地歌箏曲の演奏家,作曲家。都名 (いちな) は浪の一。文政4 (1821) 年5月,一山検校を師として検校に登官。京都の八重崎検校門下。幕末期の新箏曲運動の先駆者で,広島の葛原勾当や古今組の作曲者である名古屋の吉沢検校などに影響を与えた。京風手事物の『桜川』『千代の鶯』『七小町』『夜々の星』『三つ山』などの三弦曲を作曲し,一部自身でその箏の手もつけたが,箏のみによる組歌段物を発展させることこそ箏曲本来のあり方であるという立場から,『秋風の曲』『五段砧』を作曲した。同7年には,葛野端山編の『絃曲大榛抄』という三弦譜を校閲,天保8 (37) 年には自作の『秋風の曲』の楽譜『箏曲秘譜』を公刊させた。

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デジタル大辞泉の解説

みつざき‐けんぎょう〔‐ケンゲウ〕【光崎検校】

[?~1853ころ]江戸後期の地歌・箏曲(そうきょく)家。京都の人。箏曲の復興運動の先駆者三味線とは合奏せず、箏だけで合奏・独奏する形式を発展させた。「五段砧」「秋風の曲」などを作曲。

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百科事典マイペディアの解説

光崎検校【みつざきけんぎょう】

地歌・箏曲家。生没年未詳。名は浪の一(のち冨機一)。京都で活躍。地歌三弦家の一山検校門下で,1821年検校となる。箏は八重崎検校に師事したという。新傾向の箏曲《五段砧》《秋風の曲》の作曲者として有名。
→関連項目吉沢検校

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

光崎検校 みつざきけんぎょう

?-? 江戸時代後期の地歌・箏曲(そうきょく)家。
京都の人。三味線は一山検校,箏は八重崎検校の門人。三味線から独立した箏曲の復興をこころざす。「絃曲大榛(げんきょくたいしん)抄」の校訂・出版に尽力し,自作「秋風の曲」の譜を出版。これらの行動のため京都を追放されたというが,真偽は不明。嘉永(かえい)6年(1853)ごろ死去。名は浪の一。代表作に「五段砧(ぎぬた)」「千代の鶯(うぐいす)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

光崎検校

生年:生没年不詳
江戸後期の京都の地歌箏曲家。名は浪の一,のちに冨機一。文政4(1821)年検校になる。三弦譜『絃曲大榛抄』(1828)を校閲。箏曲は八重崎検校門下。「桜川」「三津山」「千代の鴬」「七小町」「初音」「夜々の星」など京風手事物を作曲。「桜川」などには箏も手付けし,三弦と箏の両方をひとりで作曲した嚆矢と思われる。箏の高低合奏「五段砧」,組歌と段物の合体「秋風の曲」を作曲し,幕末の箏曲復古運動の旗頭として吉沢検校に影響を与えたという。「秋風の曲」は『箏曲秘譜』(1837)に楽譜化された。奔放な活動から職屋敷(当道の統括所)の反感を買い京都を追われたというが,のちの脚色であろう。嘉永6(1853)年の免状があり,このころまでは生存。<参考文献>平野健次監修・解説レコードアルバム『光崎検校』

(野川美穂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

みつざきけんぎょう【光崎検校】

地歌・箏曲家。生没年不詳だが,1853年(嘉永6)まで生存したことは確実。都名(いちな)は浪の一。1821年(文政4)登官。一山検校に三弦,八重崎検校に箏を師事。同門に菊岡検校がいる。砧物きぬたもの)を発展させた《五段砧》や,段物と箏組歌を合体させた新形式の《秋風の曲》などを作曲して,三弦に従属しない箏曲を復興。吉沢検校に影響を与えるが,三弦曲の《七小町》《千代の鶯》《夜々の星》などもある。1824年に《絃曲大榛抄(げんきよくたいしんしよう)》の校閲を行うが,晩年の足跡は不明。

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大辞林 第三版の解説

みつざきけんぎょう【光崎検校】

?~1853) 江戸後期の地歌・箏曲家。京都の人。地歌三弦に箏が追随していた当時の風潮の中で、箏のみの新曲「五段砧ごだんぎぬた」「秋風曲あきかぜのきよく」を作曲し、新境地を開いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

光崎検校
みつざきけんぎょう
(?―1853)

地歌(じうた)・箏曲(そうきょく)の演奏家、作曲家。没年については1846年(弘化3)説もある。都名(いちな)は浪の一(なみのいち)。京都の人。三味線曲を箏曲化した京風手事物(てごともの)を発展させた八重崎(やえざき)検校の門下で、三味線を切り離した新しい箏曲の確立を目ざし、新しい箏組歌として『天保(てんぽう)組』(『秋風の曲』など)を作曲。さらに、段物・砧(きぬた)物の総合としての『五段砧』の作曲のほか、『箏曲秘譜』の著書があるが、その斬新(ざんしん)な活動のゆえにその版木は焼き払われ、京都職屋敷から追放され、金沢において不遇のうちに没したという。門下の葛原勾当(くずはらこうとう)により中国系生田(いくた)流箏曲として受け継がれる。ほかに『七小町』『夜々の星』などの作曲がある。[平山けい子]

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世界大百科事典内の光崎検校の言及

【秋風の曲】より

…箏曲名。光崎検校作曲。蒔田雁門(高向山人)作詞。…

【砧】より

…ほかに,関西で行われる三弦の地を合わせる箏曲の《二重砧》,山田流中能島派に伝承されている三弦曲の《新砧》もある。以上は,すべて4段構造であるが,光崎検校は《六段の調》の5段目を応用した第5段を加え,全体に本雲井調子の替手を付けて,《五段砧》とした。その他,島住勾当作曲の三弦曲《三段砧》もある。…

【絃曲大榛抄】より

…三味線の楽譜集。葛の屋道広(葛野端山)著,光崎検校校閲。1828年(文政11)に初編雪,月,花3巻3冊が京都野田治兵衛より刊行。…

【五段砧】より

…箏曲名。光崎検校作曲。天保年間(1830‐44)の作品と思われる。…

【桜川】より

…歌詞のほとんどを謡曲から採用。(b)光崎検校(1821年登官)作曲の京風手事物で,箏の手も自作。石野某作詞。…

※「光崎検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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